「基礎体力」
2つ前の8月11日の日記(http://d.hatena.ne.jp/shiga_kenken/20110811#1313047235)の続きなのかも。
新書くらいは何冊か読んで書いたほうが良かったの鴨しれないけれど、そんなめんどうなことは姉妹…。
別に体系的・網羅的に書くわけではないので、「情報収集の仕方」とかはパス。
@junsaito0529 まぁでもSEGとか平岡を利用できるような層は放っておいても勝手に伸びると思いますけどね。問題はポテンシャルはあるけど手を加えないと才能を開花できない層だと思います。有名進学校が相手にしているのは前者ばかりですし。
引用元:http://twitter.com/pidvech/status/108428326607142912
「手を加えないと才能を開花できない層」の想定にズレがあるだろうけれど、少なくとも一部は重なるであろう某クラスタを想定して、手を加えないといけないのではないかな、ということを述べたいわけです…。
1.「基礎体力」
他にも、健康・やる気・経済力などあるかもしれないけれど、例示的に5つ列挙してみる。
(1)読解力
(「教科書嫁」を含め)特定の文献を読んでいるはずなのに読めていない、という現象があったりするらすい。
その原因はいろいろあるんだろうけれど、「読解力のなさ」ということにしておこう。
そうすると、例えば、かつて現代文の試験はどれくらいの点数がとれていたのか、その後同じような試験をしたのであればどれくらいの点数になるのだろうか、ということになるかもしれない。
そういう意味で、かつて現代文の試験の高得点者は、その後その水準を維持していれば良いということになるだろうし、低得点者はその後努力して高得点をとれるようになればいいわけなのだが…*1。(´・ω・`)
(2)ヒアリング力
ヒアリング力は、読解力よりも劣るはず。
読んだらわかるものでも、聴きとれるかが問題。
日本語のヒアリング力は、義務教育の時に試されるかもしれないけれど、その後は、試されていないかも。(´・ω・`)
そうすると、大学入試を例にとれば、英語のヒアリングで代用?
それ以降についても、センセ方が「ノートのとり方」などを確認すれば、本人がきちんと聞き取れているかどうかを確かめることができるが、はたしてそういうことをやっているかどうか…*2。(´・ω・`)
(3)要約力
「その文献はどういう内容だった?」と聞かれて、ちゃんと説明できない、という現象があったりするらすい。
その内容をまとめて記述するという場合も同様。
この原因にもいろいろあるんだろうけれど、「要約力のなさ」ということができるだろう。
例えば、かつての現代文や小論文の試験で、「○○字以内に要約せよ」という問題が出た時に、高得点をとれたかどうか。
複数の要素を記述しないといけないときに、その複数の要素すべてを書けたかどうか。
そういう意味で、かつて現代文・小論文の試験の高得点者は、その後その水準を維持していれば良いということになるだろうし、低得点者はその後努力して高得点をとれるようになればいいわけなのだが…。(´・ω・`)
その後「ノートのとり方」を確認したり、本人が書いたレポート等を読めば、センセ方が本人の能力を確認することができる鴨しれないし、その場合に「点数化」はしているかもしれない…。
(4)暗記力
先の、「その文献はどういう内容だった?」と聞かれてちゃんと説明できない、という現象は、暗記力にも関わる。 もちろん、正確に暗証する必要はないけれど、どこに何が書いてあったのかを覚えておいたほうが、後で探し者をするときに便利。
また、討論の場合、あやふやな記憶だと、正確な返答は期待できないはず…。内容をそれなりに覚えていないと、「腰だめ」*3で議論できるはずがないから…*4。
そういう意味で、暗記力も必要である。
まあ、「試験だと覚えていないけれど、文章を書くだけならその必要はない」という方もおられたけれど…(トオイメ。
(5)表現力
書くことをお仕事にすべく予備校に通う方もおられるようだが、「日本語だから、当然書けるでしょ」というのが一般的?
もちろん、記述式・論述式の試験を受けて合格しているわけだから、その際にチェックされているはず…。
また、その後も、「指導」という形で直されたりしている、というのが通常なのかあ…*5。
2.対策
以上のような「基礎体力」は、選抜時であったり、その後の教育や自己研鑽で保たれていることが一般的なのだろう…。
しかし、「基礎体力」がない場合があるというか、不十分な人が増えているのではないかという印象。
もちろん、こういうことは、「自分で能力を高めるべき」業界なのだろうから、自己研鑽に励むのが本筋ではあるし、不十分な点に付いては自己責任。
という建前であって良いと思うし、それができないなら早急にリタイアすべきなのかもしれない…。
とはいうものの、「先輩たちがダメだったので、こんな必修講座もうけマスター」という形で、過去の反省から、遅ればせながら部分的には若干は修正が図られているというか、自己責任を建前としつつもサポート体制の充実が図られつつある…。
自己責任だったら、そんなことしなくて良いのに(笑)。
例えば、一部の大学(学部)において、「ノートのとり方」を教わっているとか。
「オレたち、『ノートのとり方』なんて教わらなかったよなあ。今の人たちは恵まれているよなあ。オレが教えてもらいたいくらいだ。」なんてぼやきながら、「ノートのとり方」を教えているセンセがいるとかいないとか…。
他にも、ある文献について「注のつけ方がおかしい」かどうかということを報告させるとか、
外国語文献を訳させた上で、(自分の言葉を使って)要約までさせるとか…、あるようだ…。
以上のように、実際には、最近になって(?)、部分的には、「基礎体力」をつける教育(補習?)がされているようだ。
まあ、高校の補習を大学でする時代、大学の補習を…というのは「時の流れ」なの鴨。
ただ、以上の教育を受けていない人の問題もあるし、それらの教育を受けている人に対しても、それだけで「基礎体力」が充分につくかというと疑問があったり…。
そういう意味では、まだまだ「手取り足取り」教育が必要なのではないかなとも思う。
例えば、特定の文献を読んでいるはずなのに読めていないとか、「その文献はどういう内容だった?」と聞かれてもちゃんと説明できない、ということを「初めて指摘された」という話を聞いたことがある…。
それは、そのようなレベルのことはできていることを前提に運営されているからであり、そんなことを聞き出したらキリがないから?
そういう人を入れてしまったことの問題もあるし、これまでの報告・業績を見て指摘する人はいなかったものかなあ…(トオイメ。
しかし、「○法の基本的な教科書をまずお読みになられたほうがよろしいかと思います」*6なんていう指摘を過去に受けたことがなかったのだろうか。
それとも、どこがどうおかしいかが分からなかったのだろうか?(´・ω・`)
もし、抽象的な指摘自体はあったのだとすると、具体的にどこを直せばよいかわからないという点が問題だったということになる*7。
そういえば、「わかりずらい報告だった」「表現が分かりにくかった」という抽象的な指摘はあったが、具体的にどう直してよいのかわからない、という声も聞いたことがある。
確かに、「ノートの確認」「レポートやテスト」などがされている場合、これらが評価の対象になっており、「点数化」はされているはず。
しかし、どこがおかしいかを具体的な指摘がされていないから、どこをどう直してよいのかわからなかったからではないか?
そうだとすると、「赤ペン先生」をしないとイケないわけだが、どのような形で「赤を入れる」べきなのかが問題となる。この点については、争いがあるようだ。http://twitter.com/kankimura/status/19112810889875457*8。
議論の余地があるところなので、ケース・バイ・ケース、人によって違う、などということで、今回はお茶を濁すが、「平均的に某所より下回る人たちだけれど、某所の人たちに『追いつき追い越させる』ようにしよう」と思うのなら、もう少し手を加えたほうがいいのではないかなと思う。というか、相対的に、受け手の感度も悪いのだから、何度も何度も同じ指摘をし続けないといけない、より具体的に指摘しないと、「改善」しないのではないかとも思う…。
もちろん、そういうことをするのには手間がかかる。このような事態を危惧している人ですら、自分自身の「生き残り」のほうが優先課題なのかもしれない…*9。
そして、それを誰がやるのか、どのような体制でやるのかは別途検討する必要はあるのだけれど…。
といつもより、回りくどくて、まとまりのないダラダラした文章になってしまったので、数日寝かしたほうがいいのだろうが、投稿しておこう…。(´・ω・`)
*1:もう少し具体的に言うと、例えば、http://twitter.com/okaguchik/status/36200690766462976な人に、いかに「追いつき追い越せ」ができるかということ。別に「追いつき追い越す」必要はない鴨しれないが…。
*2:まあ、小テストや試験で確認すればいいとも考えられるわけで、総合成績で上位にいれば、そこそこヒアリング力があるともいえそう…。そういう意味で、実は、総合成績が良ければ、このエントリーの「基礎体力」はあるっていう話なのかもしれないし、そうでないかもしれない…。
*3:「腰だめ」とは、何も見ずに、議論することである。http://d.hatena.ne.jp/shiga_kenken/20100101#1262339969
*4:http://twitter.com/siganaikenpou/status/100023827790168064の話と異なり、複数の専門家が何も見ずに議論されているのを、傍から見ていると、圧倒されるわけですよ…。「話が通じているぢゃん!!」と…。片方ではなく、双方がその分野に精通していないと成立しないわけですね…(トオイメ。
*5:以上のこと、一応実例があるのだけれど、はっきりとは書けないという面があったりする…。しかも、そういう実例は、特異例であって、本エントリーのような方向での一般化はできない鴨しれない…。
*6:http://twitter.com/gahko/status/84571061953363968
*7:http://twitter.com/siganaikenpou/status/100023827790168064もそういう趣旨のことにゃのかな?
*8:私が述べたことは、http://twitter.com/kankimura/status/27120050846568448と重複するかもしれないし、レベルの違う全く異なった話かもしれない。いずれにせよ、http://twilog.org/kankimura/date-101227やhttp://twilog.org/kankimura/date-110118などは興味深い話だと思う。
*9:そういうわけで、http://twitter.com/kankimura/status/19146157313753088でいう「文章指導」「内容指導」、どちらもしていないんぢゃまいかという事例があるようなないような…(トオイメ。