この一年を振り返って(下)




 日本時間の昨日、アップするつもりが、書き上げることができなかったので、今日の日記に。

 昨年のことは昨年のうちに振り返り、今年の最初のエントリーは今年の抱負を書くつもりだったのですが…。(´・ω・`)
 というわけで、新年明けましておめでとうございます。m(_ _)m

 身内に不幸があろうがなかろうが、プライベートなことはなるべく書かないので、それを悟られないようご挨拶を…(って過去にそれほど新年の挨拶してませんが…。)。



2.「ズルい女」シリーズ

 2つめの出来事は、ミクシの私の日記(友人の友人まで公開)で起こったことです。

 表面的には、9月1日に始まる私の日記・コメントに対して、マイミクさん*1 4名の方が、順次、私の行った「2つの主張」の「内容」「方法」を批判され、先の案件(昨日のエントリー)とは比べ物にならないくらい膨大なコメントの往復をしました…。





(1)現状

 「現状」から先に示すと、批判的なコメントしてくださった4名の方のうち、

  ・Aさん・Bさんは、それぞれの事情もあって、足あとすら残されなくなりました…。頻繁なコメントのやり取りをを経て、いつの間にか、しばらく足あとを残されなくなり、その後、コメントされるということもありましたけれど…。

  ・Cさんは、先方から、一方的にマイミクを解消されました…(たしか9月13日)。その後も、(最初の私の日記の書き方の問題もあるでしょうが)「議論に勝ちたいだけだろ」「相手に根拠を示せというなら、早く根拠を示せ」と何度もコメントを残したり(← 私としては根拠は示しているにも関わらず…。)、「揚げ足取り」的なコメントがあったり…。

  ・Dさんは、最初のお三方とは異なり、「内容」というよりは、「方法」に対する批判をされた方ですが、一時は、「マイミク解消宣言」をされるくらい、「険悪な雰囲気」になりました。その状態は回避でき、今でも相互に足あとを残したりコメントしたりしていますけれど。



 個人的には、当初からかなり誤解されていると思いました。

 マイミク解消となったCさんとの関係から、まずは、「残りのマイミクさん」からその誤解を解こうと、公開範囲も制限した日記を書くことにしました(それがCさんとの関係を悪化させたようですが、「マイミク」ではないし、一方的に解消されたわけですし…。)。

 が、上の状態になっております。



 で、何を取り上げたかというと、「徴兵制の合憲性」と「防衛費GNP(GDP)1%問題」です。

 私は、徴兵制違憲説・防衛費現状維持派の立場に立ちました。

 これらのテーマについては、こちらでは、今後、「意見の多様性と多数決・その4−X」「意見の多様性と多数決・その5−X」として紹介しようと思っています。よって、今日は、「徴兵制の合憲性」と「防衛費GNP(GDP)1%枠問題」の内容には触れません。



 ミクシで取り上げた順番から言うと、この「徴兵制の合憲性」と「防衛費GNP(GDP)1%問題」のほうが、これまでこちらの「意見の多様性と多数決」でとりあげたテーマよりも先だったのですが、それは、

  (a)ミクシ内でのやり取りが「終わっていなかった(し、今後も続くかもしれない)」こと、

  (b)上のエントリー(やミクシ内でのやり取り)のようなことになる可能性が高そうだとも思った

 ので、こちらでは、「徴兵制の合憲性」と「防衛費GNP(GDP)1%問題」は後回しにしておりました。



(2)「ズルい女」とは?

 なぜ「ズルい」と名づけたのか?

 まず、長くなりますが、10月7日付けのミクシ日記の抜粋。(2)(3)で抜粋する日記は同じエントリーで書いたものです。

3.俺様ルールの意図

 ずいぶん評判の悪かった、「ズルい女」ルール(俺様ルール)。
 確かに、ネットではあまり守られていないような…。


 (1)根拠を示すこと
> あなたが論争につかまった場合は、書き手の人格ではなく、書いてある内容に議論を集中するように保ちましょう。*2

  ということで、一応、ネチケットですよね…(^^;。

>「〔最高裁判例・政府見解・通説と異なる見解を示す場合〕その根拠は何?(それを示せないと、あなたの負け。)」

  極端に使えば、「疑わしきは、しが研の有利に」。
  私が、こういった極端な立場に立っていると勘違いされた方も多かったのではないでしょうか…(^^;。
  管理権限を発動しても良かったのですが、「勝ち負け」の判断は、読者1人1人がすべきことです。「思うこと」と「発言すること」も別ですし…。

 繰り返しになりますが、この2つのルール、どうしてそんなに評判が悪かったのか?

 書いている場所は、他人が管理するBBS(コミュニティ)・日記ではなく、私の日記だったんですがね…。

 私が管理する場所で私がルールを設定しても、守るか守らないかは「ある程度」は書き手次第。

 しかも、設定したルールはたった2つ…。(´・ω・`)




 いくつかの要素が混在している部分を抜粋してきたので、分解して説明しなければなりません。

(a)「ズルい」理由

 まずは、冒頭の設問、「なぜ「ズルい」と名づけたのか?」から答えるとすると、



>「〔最高裁判例・政府見解・通説と異なる見解を示す場合〕その根拠は何?(それを示せないと、あなたの負け。)」



 この部分が、実は、「ズルい」とタイトルをつけた理由なんです。つまり、



 確かに、最高裁判例・政府見解・通説が、仮に一致していたとしても、根拠を示さなくても、「あなたの勝ち」になるかもしれない。

 にもかかわらず、「あなたの負け」と書いた。

 そこを突っ込まずして、「喧嘩を売られた」から「人格攻撃しよう」という方向に行くと…。(´・ω・`)

 日ごろから、最高裁判例・政府見解・通説を「理論的に批判(検討)」しようとしている人は、「あなたの負け」と私が書いても、「カチン」と来ないと思っているのですが…(やはり「カチン」と来ますかね…(^^;)。

 最高裁判例・政府見解を「理論的に批判できた」としても、その方向に現状が変わらないことだって多々あるわけで…。現状が変わらないから、「その状態があなたの主張する状態と違うから、あなたの負け」とまでは思いませんし、言わなかったんですけれどね…。

 ただ、現状を変えるためには、正確には、少なくとも「異なる意見の人を説得する」ためには、「何らかの理由付けが必要」ではないかと…。



 そういう意味で、「現状に乗っかる立場」に立った立場を、誰かが(コメントされる方を予測して私が)示したほうがワカリヤスイと思ったんですよね。

 また、(その方がそう言っているかは別にして)「自衛隊違憲? 政府はそうは言っていないし、最高裁もそうは言ってないよね。それに反対するつもり? 非武装中立論・無防備都市宣言なんてナンセンス。」なんて言っている方と同一の結論を取られたり、そういう主張に対して批判はしないだろうから、そういう立場に立ってみようかと…。(← 「自説がない」「試した」ってことになるでしょうが。)

 そういうわけで、(実は、乗るか乗らないかは相手次第なので「議論する」と言うよりは「日記を書く」ためなのですが)テーマの設定は、(後日その内容は説明しますが)政府見解によれば徴兵制採用は違憲であるし*3、防衛費についてはかつてはGNP・GDP1%枠という政策が採用され、(近い将来どうなるか分からないけれど)今でも大きく超えていないことを前提にして、「虎の威を借りる」ことで自説を主張(補強)し、相手方の主張を引き出そうとしたんですが…。(← 「自説がない」「試した」ってことになるでしょうかねぇ…。)

 (失敗だったかなと思う部分もあるのですが)1つではなく、2つのテーマにしたのは、どちらのテーマもコメントを書き込んでくる方の主張(結論)はほぼ予測できたので、違憲か合憲かという法律論を展開できそうな徴兵制の問題と、そういう法律論にはあまりなりにくい防衛費の問題の両方を議論してみたかったと…。(← 「自説がない」「試した」ってことになるでしょうかねぇ…。)



 (b)俺様ルール・その1――「根拠を示すこと」

 つぎに、「俺様ルール」(とBさんに名づけられ、特にCさんにはいろいろ批判されたルール)の話。

 私は、2つのルールを、最初のコメント(お一方の複数のコメント)がついた直後に、つまり、ある意味「事後的に」示しました。

 その1つが、上の「根拠を示すこと」

 もう1つが、「典拠を示すこと」

 ネットでは(日常でも?)守られていない、この2つのルール。特に後者は守られていませんね。



 まず、前者の「根拠を示すこと」は、上記引用の「ネチケット」からは導き出せない、というご批判はあるかもしれませんけれど、そういうご批判に対しては、「自分と異なる意見に出くわしたときに、どう議論するつもりですか?」と聞き返しますね…。

 うまい表現を見つけたので、(議論し始めて1ヶ月たった)10月2日の日記で紹介したんですけれど、

 「論理的な説明やデータによって納得している場合であれば、不愉快に感じながらも、かつて自分が納得した説明に論理的欠陥があることやデータの裏付けが不十分であることに気づいて、自身の見解を変えることができるかもしれません。しかし、説得術の手法によって感覚的に、つまりは何となく納得している場合には、その「納得」から抜け出すことはきわめて困難です。感覚(センス)を否定されることは、多くの人にとってもっとも苦痛なことだからです。
 そして、ある言説(X)が常識と受け入れられるようになると、それと似た言説も次第に常識化していきます。つまりは、多くの人にとってイエスな言説をストックスピールとしても何となく納得させられていきます。このようにして一連の社会的言説や政策提言の全体が「何となく常識」化していくことになるのです。」

 引用:飯田泰之ダメな議論―論理思考で見抜く (ちくま新書)』(筑摩書房、2006年)41−42ページ

 まさか、マタミクさんのご著書だとは知らずに引用していたのですが…(笑)。

 根拠を「示す」ということで、「根拠は私が考えているから」では足りないのは想像できると思うのですが、そういう方もいらっしゃったのかな…。

 ただ、これをクリアしたとしても(クリアしていないといえるかもしれないけれど)その先にあるのが、根拠の「説得性」とか、根拠と結論の「整合性」の問題がある。

 確かに、「根拠に説得力があると思うかどうか」は、個々人の主観に左右される部分もある。「私はそれでは納得しない。ゆえにその根拠には説得力に欠ける」という部分もある。

 しかし、今回についていえば、特にマイミクさんだからこそ気づいてもらうために「試した」わけであって(試したつもりはないけれどね!!)、上記『ダメな議論』からすれば、「不愉快に感じながらも、かつて自分が納得した説明に論理的な欠陥があるとかデータの裏づけが不十分であることに気がついて」くれればいいわけだし、気がついた時点でそれを表明しなくてもいいし、後から気がついてもらえれば良いので…。

 それに関連して、私は、「(一応)自分自身の意見との異同を問わず、その人の論拠と結論の整合性を見るようにしている、つもり」です。「答えは1つではないし、1つだとしても、簡単には1つにはならない。いろいろな人がそれぞれ違う考えでいいのでは?」と思っています。この点に関しては、異論のあるところでしょうが、どうなんでしょうかねえ…(^^;。




 あと、「説得力があるかどうか」については、両当事者だけではなく、第三者である読者も判断できる。「お前の負けだ」「俺は負けていない」と両当事者が言い合っていたとしても、黙って心の中で「判定」している方もおられるだろう、ということで・・・。




 ちなみに、今回の全体に関わることですが、ここで書いておくと、コメントで「手放しで褒め称えて」下さった方は一名おられますた…。(*´∀`)




 (c)俺様ルール・その2――「典拠を示すこと」

 これがなぜ必要かは、「論文」を書くことを生業とされている方はご存知のはず。

 それを長く書くのも何なので、簡単に今回これをルールとして提示した理由だけ書きますと、

 「相手が何を読んでそれを主張しているを知りたかった」「(この分野についても)不勉強な私としては、どういうもの読めばよいのかを知りたかった」「相手の主張を批判する材料を得たかった(検証可能性)」。



 典拠を「示す」というレベルには、まずは、「これを読んで、こう考えた」というレベルがあると思う。

 このレベルであれば、「それを読んでも、そうは考えられません」ということを「理論的に説明する」ことで批判になると思う。つまり、典拠(原典)を使用する側の読み方・使い方の問題。

 一番簡単なのは、「読み間違っていますよね」という国語の問題であって、そういうこともあったんですが…(^^;。

 そして、「読み方はあっているけれど、使い方が間違っている」とか、そういう使い方の問題。



 次のレベルとして、「典拠と結論が直結している(整合的だ)けれど、典拠となった原典の主張の説得性がねえ…」という原典の主張の説得性の問題になると思う。

 私は、「ズルい」ので、「典拠を引用しただけ」が多かったり…。最高裁判例・政府見解・通説を持ち出して「だからこの結論は自明だ。」、「この見解は、○○大の先生の見解で…。定評あるし…。」とかそんな感じでしたから、それとは異なる見解をお持ちのコメントしてくださった方は、当然、「国家的な権威があるに過ぎない」「所詮は学者の言っていること」ってことになるのでしょうが、『ダメな議論』参照ということで…。私は、「最終的には見解の相違ですね」と何度も言ったし、それで終わりたかったんですがね・・・。(´・ω・`)

 最もダメだと思うのは、「杜撰な理由だけれど、この結論が妥当であることは明らかである。」なんていう主張ですかね。「理由が杜撰である」ことを自覚していながら、結論が妥当であることを主張するという点で、かなり「たちが悪い」と思います。

 「ぢょしこーせい」がしている分には、「『ぢょしこーせい』だから」と大目に見たり、「『ぢょしこーせい』のわりに、なかなか・・・。」ということは可能でしょうが、それ相応の方については、ハードルがあがるかもしれません。



 私が「主要な典拠」にしたものですか?

 徴兵制についてだけ言うと、

 ・大江志乃夫「徴兵制違憲閣議決定憲法」『法学セミナー増刊/日本の防衛と憲法』(日本評論社、1981年)271−276ページ〔長いものでよければ、同『徴兵制 (岩波新書 黄版 143)』(岩波書店、1981年)〕

 ・佐藤功「徴兵制度と憲法」法学セミナー314号(1981年4月)114−120ページ(のちに同『憲法問題を考える―視点と論点』(日本評論社、1981年)』所収。コピーするには前者の方が枚数少ないが、注記するための一般的ルールのほか、追補もあるので、後者の方を薦めなければなるまい…。)

 ・長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす (ちくま新書)』(筑摩書房、2004年)〔長谷部恭男・杉田敦これが憲法だ! (朝日新書)』(朝日新聞社、2006年)でも代用可〕

 の3つでしょうかね…(^^;。

 「今回の最終防衛ラインは、長谷部説」。この表現も誤解を招きましたね。「違憲説にもいろいろあるが、長谷部説に立ちます」といえば分かりやすかった…。そうすると、もしかすると、政府見解・他の学説との整合性が問題になるかもしれないが…。

 で、コメントを下さった4名の方は、「ほとんど」典拠がなかった。

 「しが研もないぢゃん」というようなコメントもあったかな…。

 別件を思い出したので、ついでに書いておくと、コメントを下さった方ではなかったと思うが、田母神「論文」のどこがまずいのかに気がつかれていない方もおられたか…。



 ちなみに、Aさんによる長谷部氏の評価は、要約すれば、「著書は読んでいないけれど、しが研の引用を読むと、曲学阿世な人、へそで茶がわく」とかそんな感じでしょうか…。「隊長」と呼ばれる方なのに(笑)。



(3)「ネットバトルの歴戦の勇士」の陥穽

 「ネットバトルの歴戦の勇士」というのは、良い意味にも悪い意味にも取れる言葉ですし、実際にこれも誤解を生みましたが(笑)、主観的に良い意味(中立的な意味)で使うと、「私よりもネットバトルの経験のある人」。客観的に言っても、「ネットバトルの経験豊富な人」(定義はあいまいだけれど…。)。

 というわけで、(2)と同じく、10月7日付けのミクシ日記の抜粋。

1.一部のコミュのやり取りに対する「最小公倍数」的な【印象】

 (1)意見の異なる人に対する脊髄反射的なレス。
 (2)相手方の意見に耳を貸さない。
 (3)自身の根拠は、感情的なもの。そうでなくても、「自分たちの常識」「自分がそう思うから」というだけで、根拠を示さない、相手方へ情報提供しようとしない。
 (4)自分から噛み付いたのに、相手方に反論されると、「罵倒」「人格攻撃」をする。そして、相手方を追い出す、または、「根拠にならない」「時間の無駄」と立ち去る。
 (5)素人さんの排除。相手方への情報提供をしないから、素人さんたちは、何を勉強すればいいかわからない。書き込もうとしなくなる…。

 例えば、非武装中立論・無防備都市宣言の結論が自分の意見にそぐわないというだけで、攻撃していないのか?
 その前提となっているはずの治安維持に必要な警察力等をどうするのか、聞いているのか?

 自分の思ったことを書き込むというのは、自分自身のストレス解消にはいいですが、相手方の立場を考えると、どうなんでしょうかね…。

 もちろん、
 当該コミュでは、情報提供をしている。
 そのような「攻撃」はしていない。しているのは、相手方のほうだ。
 当該コミュでは、そのような事実はない。
 某巨大掲示板Yahoo!ニュースのコメント欄などとは違う、誠実に議論している。
 などの反論はあるかと思います。

 あくまで、ちょっとコミュを覘いただけの、「最小公倍数」的な【印象】にすぎません。(← 最大公約数ではない。)
 当該コミュではそういうこともあるけれど、マイミクさんたちは、そういうことをしていない。
 ということでも問題ない。


 しかし、若干の気がかりがありまして、今回は、コミュではなく、私の日記で【再現】していただこうと思いました。
 コミュの過去の議論について、マイミクさんの議論の相手方が、私の非マイミクさんであったりして、「そのときはどう思いましたか?」などと聞くことにも手間がかかる。
 私が「当事者」になれば、私の感想を述べることも簡単だし、私の日記を読まれた方々がどう思われたかもコメントで書いていただけるかもしれないと思ったわけです…。

 まず、【再現】という言葉も、批判の対象となりました。「試したな」と。

 しかし、私としては、書く内容を決めた段階で、誰がコメントをしてくるかどうか・どういうコメントをしてくるかどうかを、これまでの交流から予測しただけなんですけれどね。それをして書いたら「試した」ことになるかどうかです。

 コメント書くかどうか・どういうコメントをするかは、ご本人が決定するわけですから…。



 次に、「最小公倍数」的って、書きましたけれど、要するに、

 議論する際に、多かれ少なかれ「こういう要素を持っている」のではないのか?

 各要素をフルに持っておられたら…。(´・ω・`)



 で、「試した」ではなく、「(そもそも、そういう要素をいつの間にか持っていて)今回の件で持っていることを自覚できたとしたら、どうするの?」と…。そのような要素を出して、発言すると言うことは、どういうことなのか?

 自分自身のストレス解消には、「言いたいことを言う」のは良いかもしれないけれど、名宛人・第三者が見たらどう思うか、それが社会のためになるのか、ですね。

 今後も、ミクシで今回の件で議論が再発するかもしれないし、こちらで私の「(当時の)主張」を紹介するだろうから同じような議論がこちらで起こるかもしれない。



 今回の論争については、私としては、当時(不十分ながら)勉強したことは大半忘れているし、コメントするのであれば、再度調べる必要がある…。

 だから、今回の件に関しては議論打ち切り、でも良い。

 望むことは、

  先に記した要素(他の要素があればご教示いただければ幸いです♪)を改善してほしいと思うことと、

  今回の件をきっかけに「江戸の敵を長崎で討つ」ようなことはやめてほしい、

 ということでしょうかね・・・(^^;。

 今は強がっていて「私は正しい」と言っていても良いから、私に対してだけではなく、他の方に対しても、「当たらない」ようにしてほしいなあと…。



 まあ、「表現する」ということは、「批判」のみならず、「誹謗・中傷」される可能性もあるわけで、それに耐えうる「強い意思(?)」を持たなければいけないんでしょうけどね…。(´・ω・`)

 「自分が悪い」と思っていても、「自分は悪くない」と言い張るとか、「相手を不快にさせるだろうなあ」と思って言わないのではなく、不快にさせても、自分の考えを、相手方・第三者に示すとかする必要があるのかもしれないけれど…。

*1:私のマイミクさんは、80名弱います。「マイミクさん全員」実際に会ったことがないし、毎日ログインされる方は少数で、大半は半年以上ログインすらされていないと思う。

*2:http://www.cgh.ed.jp/netiquette/rfc1855j.htmlの「3.1.2 メーリングリストガイドライン」から引用。「半角カタカナを使う・「Reply-To」を知らなかった、などダメダメなしが研が何を言うか」という反論は可能。

*3:一応、政府見解の説明は、以前取り上げた。http://d.hatena.ne.jp/shiga_kenken/20080929#1222683118