疑わしきは被告人の利益に

 これもみくしぃに書いたことですが、2月4日付のtedieさんのtwitterの2つの文章では意味がわからない方もおられるかもしれないので、不十分ながら、私なりの解説を。





(1)「無実」と「無罪」の区別の必要性
 どこまで厳格に区別できるかはさておき、まずは、「無実・真犯人(無実ではない)」と「無罪・有罪」は区別する必要があると思う。

 そして、「無罪・有罪」は裁判所で判断するもの、警察・検察は「有罪になりそうなもの」を送検・起訴するのだと、一応その程度の定義にしておきます。
 ところで、今回取り上げるtedieさんの2つの文章のうち1つは次のとおり。

 公明党の山口代表が,嫌疑不十分は無実でないといっていたが,こういう人間に国会議員をやる資格はない。

 引用:http://twitter.com/tedie/status/8626878269

 山口代表が、「無実でない」と言ったのかはさておき、そのような趣旨のことを言われた。

 政治責任追及の文脈で、しかも、「説明責任」という便利な言葉*1を使わなかったことに原因があるのだろうけれど、「嫌疑不十分は無実ではない」というような発言は妥当なのだろうか?

 私なりに説明しようかと。



 【「嫌疑不十分は無実でない」のどこがおかしいか?】



 みくしぃでも、まあ、わかりやすくは、まとめ切れなかったのだけれど。

(a)「無実」と「無罪」の区別

 「無実の人」⇒「無罪」であるべき(規範論)
        「無罪」の場合のほかに、「有罪」の可能性がある(事実論)
 「真犯人」⇒「有罪」にすべき(規範論)
       「有罪」の場合のほかに、「無罪」の可能性がある(事実論)

 というふうにまとめられるのかなと。単純に言えば…*2

 結論としては、「無実」かどうかと、「無罪」かどうかは、別次元であることは明らかだと思います(もちろん、別の用語法をとることもできるかもしれないけれど、思いつきませんw。)。




(b)「嫌疑不十分は無実でない」

 この発言は、「検察は『嫌疑不十分』としたが、『嫌疑なし』ではないため、『無実ではない』」ということなのであろう。

 この発言に対する疑問は、まず、検察は「不起訴処分」をしたわけで、「起訴猶予」にしなかったことをどう思っておられるのか?ということです。

 まあ、「そんなこと関係ねえ。検察が『嫌疑なし』とは言わなかったという意味で、『嫌疑がちょっとでもある』。よって、『無実ではない』(と思う)。」ということなのだろう。

 ところで、作者が設定を作ることができる小説・アニメの世界ではなく【現実社会】において、「無実」かどうかを判断する立場にいるのは誰? (´・ω・`)



 安易な手段ですが、wikipediaから引用。

 「無罪」と類似する概念に「無実」がある。「無罪」の本来的な用法は、犯罪の証明が認められないという司法判断であるのに対し、「無実」は司法判断ないしは裁判制度などに制約されない絶対的な真実として「事実がない」ということを指す、との使い分けが一般的である。その意味では、無実と無罪は近似する概念ではあるがイコールではない。歴史的な経緯もあって一般的には「罪がないのに罪を犯したとされること(冤罪)」を、「無実の罪」と称することも少なくない[1]。

 引用元:Wikipedia:“無罪”の“2.「無罪」と「無実」”の項

 「無実」というのは、「絶対的な真実としての『事実がない』」ということらしいですよ。ということは、「無実ではない」というのも…。(´・ω・`)

 なお、「無実である人を、警察(検察・裁判所)が…」という表現もよく目にする。

 「無実だ」「無実でない」を一律に「誤用だ」と言うつもりはないが、成立史からして、濫用はマズイと思う*3



(2)「推定無罪
 つぎに、tedieさんのもう1つ文章。

 マスコミも含めて上の方がこんなんだから,いつまでも日本で,in dubio pro reoがまったく浸透しないんだよ

 引用元:http://twitter.com/tedie/status/8626917006

 “in dubio pro reo”とは何ぞや?

 ググッてみる…。
 そうすると、Wikipediaでいうと、“推定無罪”とか“疑わしきは罰せず”を読むことになるでしょう。
 ところで、「推定無罪」というのは、言葉の通り、「無罪を推定する」ということであって、「無実を推定する」とはなっていない。



 そういうわけで、先の発言の「無実」を「無罪」に変えてみる。

 そうすると、「嫌疑不十分は、無罪ではない」ということになる。



 さて、刑事訴訟法336条は、「被告事件が罪とならないとき、又は被告事件について犯罪の証明がないときは、判決で無罪の言渡をしなければならない。」

 となっていて、「証明がないとき」となっている。

 しかし、簡単に言うと、

 「証明がない」場合だけではなく、【証明不十分だと裁判官が考えれば、無罪としなければならない】。



 だから、「無罪ではない」というのは明らかにおかしい。
 「無罪としなければならないので」、「必ずしも無罪ではない」でも、おかしいということだ。



 もっとも、このような「無罪推定の原則」は、“Wikipedia:推定無罪”にもあるように、「推定無罪の原則は捜査機関や報道機関を直接規律する論理ではない」とされている。
 だから、捜査機関のみならず、国会議員・報道機関・一般国民は、「無罪推定の原則」には拘束されないから、

 「検察が『嫌疑なし』とは言わなかったという意味で、『嫌疑がちょっとでもある』。よって、『無実ではない』『無罪ではない』」、もっと言うと、「犯罪者呼ばわり」してもよいのか?



(3)感想
 今回は、文献を引用せず、そしてあまり理詰めで書きませんが、一般の方も、「無実」「無罪」の区別をし、それについては、なるべく正しい用法を守ってもらいたいと思っています。そして、無罪推定の原則も意識してほしいと思います。

 これに対して、まず、「検察が起訴していれば有罪になったかも」「最高検の圧力で不起訴になったが、まだ検察審査会がある!」などとお考えの方もおられるでしょう(この限りで「無罪ではない」ではなく、「『無罪になる』とは限らない」と言うことができる。)。
 また、「小沢氏を『犯罪者扱い』して何が悪い!」とお考えの方もおられるでしょう。

 どういう場合に民事責任・刑事責任を負うのかという【相場】を知らない私が言うのも何ですが*4、「ユーアイ」されないように(ry

 ではなく、それぞれが言いたいことを言うのは自由ですが、あくまで自己責任で。

 名誉毀損罪・侮辱罪の疑いで逮捕されたり、損害賠償請求されない程度の表現にしたほうがいいですよと思うわけです。 まさに、「無罪になるとは限らない」…(^_-)-☆。



 そして、“松本サリン事件”のときに、河野氏を犯人だと思った方がおられるのであれば、【どうして犯人だと思ったのか?】を思い返してもらいたいです*5

 つまり、いつどの時点で、犯人ではないと考えを改めたのか?

 例えば、有罪が確定して初めて「手のひらを返した」ように、「○○さん無罪になってよかったですね」ということになっていないのか?

 このように犯人視したのは、警察のせい?マスコミの報道のせい?

 自分自身に原因はないのか?




 1つ前の日記のような個々人の感情で他人を非難する(もしかしたら両者を非難する)ことが「炎上」の原因になるかも。
 自分自身は「安全圏」にいると思って安心し「自由な」表現活動をする。実際に「犯人扱い」されたりしないと、問題であることに気がつかないのかもしれませんね。(´・ω・`)*6

*1:政治責任」「道義責任」というのもいったい何なのでしょうね。

*2:マイミクさんから指摘を受けたけれど、正当防衛のような場合には、「真犯人」といえるけれど、「無罪にすべき」(規範論)ということになります。

*3:えっ、成立史の説明?

*4:例えば、報道機関による「犯罪者呼ばわり」に関して言うと、それが名誉毀損的な表現であれば、嫌疑が広く報道されていても、それだけでは、免責は認められないとのことだし(“最判平成9月9日”)、一般人に関しては、「犯罪者呼ばわり」ではないけれど、民事は賠償が認められ(確定)、刑事は1審で無罪、2審で有罪(東京高判平成21年1月30日、判例タイムズ1309号91ページ)、現在上告中の“グロービートジャパン対平和神軍観察会事件”などがあります。後者のWikipediaの記事の刑事事件は1審までしか書かれていませんね。そういえば、“推定無罪”のほうの注8も1審しか出ていませんね。すでに、最高裁まで行って確定しています。

*5:ぢょしこーせーの私は、このときの報道のことについて、あまり記憶がないのですが。

*6:でね、教養ありそうな人が「無実」「無罪」の定義・用法を知らないのは、大学の教育の問題にもなるだろうし、一般人がそうだとすれば、それ以前の教育の問題でもあるような希ガス