意見の多様性と多数決・追記1−2(完)

 「続きを書く」と言っていたことを1ヶ月以上放置しておりましたが、前回の先月23日の日記の続きでつ…。(´・ω・`)

 その後勉強したわけでもなく、当時のことで忘れてしまっているところもありますが、年度内に書いておきませう…。




1.経緯

 前回書いたことですが、若干補足しながら再言。

 まず、Jさんが、おそらく南出喜久治氏の見解に依拠した新無効論を述べられた。

 これに対して、複数の方から、「押しつけ憲法である」という議論は、「机上の議論」「不毛な議論」「憲法学上すでに克服された議論」「ちゃぶ台をひっくり返すようなもの」という批判がなされた。「当該トピの性格にふさわしくない」*1という指摘もなされた。

 にもかかわらず、Jさんは、新無効論に「固執」されているようだった。そして、批判されていた方々の大多数が書き込みされなくなった。「Jさんは憲法の議論に詳しい」という方を残して…。

 私は、「そういう状況では、困る」気がしたので、書き込みをしたわけです(2月13日夜)。当該トピ「憲法の議論方法を検討」する「性格に即して」(?)、例の2つの俺様ルール(「理由を示す」・「出典を示す」)を提案した上で、Jさんの議論に疑問を投げかけた。初期に書き込まれた方々の意見と重複するようなことを書いただけですが…(^^;。



 私の疑問というのは、次の3つ。

 Jさんがいうところの、1995年になって初めて日本国憲法の成立過程を知る条件が揃ったとする点、憲法改正(特に帝国議会の審議)には日本側の自由意思は全くなかったとする点、新無効論日本国憲法憲法上の効力を否定するだけで法的には有効とする(明治憲法と矛盾は生じないとする)点への疑問、です。

 もちろん、これにレスしていただければ、これらの点について細かく議論するとか、他の点の疑問を指摘するということもできたのですが、結局レスしてくださらなかったわけです…。(´・ω・`)




 これに対して、Kさん(某国立教育大学の大学院生)が、「しが研の疑問点は、これを読むといいのではないか。これが憲法無効論を概括している点では、最も優れている。」と紹介してくださったのが、小山常美『「日本国憲法」無効論』(草思社、2002年)でした(2月14日朝)。

 ただし、Kさんのこの最初のコメントは、(無効論・旧無効論に立つことを明示されながらも)「憲法無効論を概括している点では、最も優れている。」であって、「小山説が優れている・小山説に立つ」ということはおっしゃらなかったわけでして…。まあ、「そういう状況では、困る」と思って書き込んだ私ですから、それまでコメントを書き込まれず、私の後に書き込まれたのかを考えれば、予想はつきますし、あとで確認したわけだけれど…(^^;。

 そして、先月13日夜から22日夜までの合計31個の書き込み。私の初書き込みから数えて、11往復のコメントのやり取りをしたわけです(数え間違いしているかも…。)。




2.小山氏の議論
 小山氏の議論内容の「大要」は、ネットでは、http://www.shugiin.go.jp/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/ronbun05.htm
 で読むことができます…。
 その中の次のような文章を見ると、大部の著書を読まずとも(読まないがゆえに?)、素朴な疑問が湧き上がってきます。

 「日本国憲法」は欽定憲法なのか民定憲法なのか占領憲法なのか、永久憲法として有効なのかどうか、といったことについて定説が存在しない状態が継続しています。

 「民定憲法という定説が存在するのではないのか?」*2、「永久憲法って何?」、「独立国に存在するはずの憲法占領憲法の違いは?」



 そういう疑問を持ちながら、小山常美『「日本国憲法」無効論』(草思社、2002年)を「ナナメ読み」すると…。
 えーっと、その当時の私の課題は、「ネットにおいて、如何に穏便に議論を終わらせられるか?」ですね…。

 2月16日(?)からそう思い始めて、その後7往復くらいしたわけですが…。(´・ω・`)ダカラ ミカイケツ・・・



 結局、議論終盤で「小山氏の本は読みたくない」と書き込んだわけですが、どうなんでしょうかね…。

 もちろん「読まない責任」「読む読まないを決める責任」は私が負うわけですが、「読む価値」があるんでしょうかね…(^^;。

 どういうものが「読む価値」があるかって?

 そもそも、昨年のマイミクさんとのやり取りの「前に」「当然読んでいた」、長谷部氏の新書とか?*3



 で、小山説に対する疑問(のいくつか)は次の点。

(1)日本国憲法憲法上無効とする根拠である自由意思の欠如、その自由意思とは何か?(言い切っちゃうと、拠り所としたいであろう明治憲法も…。)

(2)かりに制定当初に自由意思がなかったとして、その後、その瑕疵は治癒していないのか?(特に施政権返還時だが、それだけではないよね。つまり、「死者による支配」の問題。)

(3)論者の整理の仕方の問題(揚げ足?)
 つぎの(4)との関連で気がついたのだけれど、

> 宮沢は、「八月革命」と議会の自由意思による修正、という二つの虚構をつくりあげ、この虚構に基づき民定憲法論を展開し、「日本国憲法」を独立国の永久憲法として有効であると説いてきた。〔小山常実「日本国憲法の神話」大月短大論集28号(1997年)120ページ〕

 宮澤氏が「議会の自由意思による修正」を強調して、民定憲法論を展開したんですかね…。
 「宮沢は」の部分が、『「日本国憲法」無効論』(草思社、2002年)193ページでは「宮沢をはじめとした有力な憲法学者は」となっているので、訂正・軌道修正が行われているかも知れませんけれど…(^^;。

(4)法的判断と事実認識
 私が「説得力がない」とする最大の問題のような希ガス

> 私は、自己欺瞞にも耐えられないから、事実に合わせて法的判断のほうを変更しなければならないという立場から、本書を認めた〔したためた〕のである。〔小山常実『「日本国憲法」無効論』(草思社、2002年)240−241ページ〕

 憲法学者のみならず、ほとんどの法学者が「反論」するのでは?
 つまり、「(極端に言えば)それでは、恣意的な法的解釈を認めることになる。」と。
 まあ、〔安念氏や長谷部氏が言うような〕芸の上手い下手のレベルなのかもしれませんが…。

 で、(4)について、Kさんは、「しが研が『小山氏の議論には説得力がない』」とする理由が分からないらしい。
 「その原因は一次資料を読んでいないからだ。貴族院帝国憲法改正案特別委員小委員会筆記要旨を読むだけでも唖然とするよ。」とされたわけで…。
 (遅くとも)1995年以降に出た文献において、有効論を維持する方々は、「自己欺瞞」を繰り返しておられるんですかねぇ…。(´・ω・`)

3.若干の感想
 (1)コミュにおいて、別の方から指摘を受けたけれど、予想通り、2つの俺様ルール(理由を示す・出典を示す)には限界がある。
   「気軽にモノが言えなくなる」から「素人の素朴な感想」が言えなくなるのは、確か。    でも、「コミュを荒れなくするためには、どうするの?」という対案は?
   長谷部氏の言うような「公私二元論」に立ちますか?(ただし、長谷部氏の「公私二元論」の「射程」は、まったく違うんだけれど。)
 (2)また、本当は、「理由・出典」の更なる「理由・出典」、また更なる「理由・出典」…、と際限がない。
   私は、そこまでしたくないわけで…。「見解の相違で終えたい」んだけれど…。
   そうしたくない人に良く出くわす感じガス…。(´・ω・`)  (3)(長谷部氏を知らないなんて憲法学の研究者なら「もぐり」だということになると思うけれど)教育学の大学院生ということだったので、「(これまでのバトルの相手方とは異なり)どこまで議論できるか興味があった。が、結局は「物別れ」。(´・ω・`)
  Kさんは、小山氏の議論を、感情論の面がある、史料実証面に問題がある、とされながら、支持されるわけで…。   私の至らないところは多々あったと思うし、私が思うところとは違う部分でそう思われたかもしれない。
  いや、「超マイナーな学説」にせよ、(如何に感情論であったとしても)学説として存在していれば、それに依拠した議論をすれば、(1)の段階はクリアーしますからね…。


4.後日談
 今度、講座物をよく出す出版社の○○講座の執筆者になる人とこの一件について話をした。
 小山氏の経歴については、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E6%95%99%E7%A7%91%E6%9B%B8%E3%82%92%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%82%8B%E4%BC%9A  その関連で、「あのとき、(冷笑・無視せず)ちゃんと声を上げるべきだった」とのこと。
 「教育学の人って、○○省にべったりの人と、ごく少数ながらそれを批判して右傾化する人がいる(と別の人が言っていた)」らすい。それって、ちょっとまずくない?(← いつもながら本論から脱線。)

*1:しが研注:「当該コミュ」の性格ではない。

*2:「戦後の憲法解釈学の通説は、民定憲法論をとり続けてきました。」ことは認めたおられるわけですね。しかし、このネットの論文のあとの話になるけれど、憲法調査研究会「『押しつけ憲法論』の検証」時の法令1817号(2008年9月15日号)という衆議院憲法調査会報告書の分析、その原本である報告書http://www.shugiin.go.jp/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/houkoku.htmを読むと…。

*3:そういえば、Kさんとは、長谷部氏が指摘する名誉革命の理解のほか、ドイツ憲法の位置づけの理解(解釈)も違いましたね。後者については、暫定性を強調するかどうかどうか。だから、クレプヒャー教授の下から3つ目の発言の「理解」にも差があった。また、水島氏の見解は説得力を欠く(占領形態が違うドイツと日本は同一視できない)そうで…。