「法律の一般性」は必要か?・その4(完:赤坂説の紹介と強制終了)

 今回のテーマについては、あと1回分の原稿があったのですが、唐突ですが、今回で終わりにしたいと思います…(ただの劣化コピーですから)。



 さて、今日は、赤坂正浩「法律の一般性とボン基本法19条1項1文」菅野喜八郎先生古稀記念『公法の思想と制度―菅野喜八郎先生古稀記念論文集』(信山社出版、1999年)255−282ページ の「要約・紹介」をしますが、長くなるので後回しにします。

 この論文は、初宿正典氏によると、「概括的に論じたもの〔だけれど〕……ドイツの学説の現状についてはこの赤坂論文がぜひとも参照されるべきである」*1とのことだし、それ以降にこれ以上詳しい文献が登場したかどうか知らないので、 この赤坂論文を「要約・紹介」をすることにします。

 繰り返しになりますが、私の「要約・紹介」が不正確かもしれませんので、興味のある方は、がんがって当該古稀記念論文集を探しあてて、この論文をお勧めします。



 というわけで、先に6点コメントを。強制的に、最終回にしたいので、コメントを予定よりも増やします…。



 (1)この赤坂論文では、ドイツ基本法19条1項1文の制定根拠として、「権力分立のみ」・「平等原則も」をあげる諸学説を紹介しておられます。

 これに対して、小山剛氏は、前々回指摘したように、今日では「平等」のみが問題になる、という認識なのでしょうね*2



 (2)「学校法人紛争の調停等に関する法律」は、どの類型に当たるのか?*3

 大石和彦氏によると、2年間の時限立法・附則4項から、下の類型で言うと、【「偽装された」「隠蔽された」特定人法律】の可能性が高いそうです(参照、大石和彦「『個別法律の問題』の問題性」白鴎法学27号(2006年)205ページ注12))。

 さて、この法律における、調停の際の手続き保障(や制定後の事情の変更による他の大学法人への適用の余地)を併せ考えると、その可能性ないし違憲性は低くなるのでしょうかね…(^^;。結局のところ、どの類型に当たるのかは、私にはよくわかりません…。



 (3)本シリーズのメインテーマに関連して、「こんにゃくゼリー規制」が、どの類型に当たるのか?

 形式面から一般的・抽象的な法形式になっているかどうか、また、内容面から、どのような規制態様になのか、によって変わるのかもしれませんが、例えば、「今後の製造規制」の場合、現存のこんにゃくゼリー製造業者は特定可能だろうけれど、今後その規制基準に適合した製品を製造するかしないかは業者が自由に決められるし、新規参入業者の存在可能性を鑑みて将来に開かれているので、【誘因法律】とも言えそうですよね…。とすると、原則合憲…。(´・ω・`)



 (4)これも(3)と同様に考えるわけだけれど、例えば、「○○航空会社の債権処理に関する特別措置法」が制定された場合、当該法人を「名指し」しているがゆえに、「法律の一般性」を欠いている、ことになるのか?
 (3)が昨年の話題としたら、(4)は今年の話題かもしれませんね。(^_-)-☆



 (5)仮に、定義遺憾によるかもしれませんが「特定人法律」が作られるのは、赤坂氏がいうところの「例外的」な場合だけなのか?

  たとえば、「条約上の義務の不履行という事態に陥ることを回避するために必要な措置」であるとして制定された場合は?

  まあ、「国際人権法の領域において、『条約上の義務を履行する』ことにそれほどの重要性を置いていると思われない」*4とか反論できるかもしれないけれど、最高裁がどういうか…。



 (6)この赤坂論文の最後で、【「法律の一般性」の理念に基づいて、日本国憲法41条違反と判断するアプローチは、現代国家における立法の機能と技術の前に、おそらく現実味の乏しい選択だろう。】という趣旨のことを指摘する赤坂氏は、その後、次のようにおっしゃっています。

 「法の一般性の要請にもヨーロッパでは古代ギリシア哲学以来の長い伝統がある」*5ため「一般性という立法の理念というのはきわめて重要であると考えているわけだが、……(中略)……一般性と言っても幅広いグラデュエーションがあるということと、狙い撃ち的な法律も作りようによっては一般的な体裁もあるということを前提として、それをなかなか丸ごと否定できないという一種の現実論がある。しかし一般的であることが原則で、あくまで個別的な法律というのは例外だと私は考える。」*6

 結局、個別的な法律というのは、例外的にしか認められないと…。どういう場合が例外的にあたるのかはともかく…*7。「ちゃぶ台をひっくり返す」ようなことはされないわけですね…。

 例えば、「一般法制定という選択肢は、行政庁に裁量余地を与えることを通じ、被治者の法的安定性を害する危険が高いのに対し、事実上個別法とする方式は、<<より制限的でない他の選びうる手段>>として選択されたもの」*8だということで、そういう法律を(41条や他の条項から)正当化できるのか?*9

 まあ、私のような単純な人間からすると、「私だけ免責される、私だけ○○が貰えるのは、まったく問題ない。」「△△だけを規制する(さらに、私だけ規制されない)というのは、LRAがあるから合憲である。」って思ってしまったり…*10。(*´∀`)




【要約または一部の紹介】(文末の〔 〕内は同論文のページ数です。)*11



 ドイツ基本法19条1項1文によると、基本権制限法律は、「一般的に妥当するものでなければならず、個別事案だけに妥当するものではあってはならない。」〔261ページ〕



 ここで、「一般的」「個別事案」の意味が問題になるが、

 まず、一般的に、



 (a)人的一般性

   受命者が不特定か(「一般的規範」)か特定か(「個別的規範」)

 (b)事項的一般性

   対象事案が不特定か(「抽象的規範」)か特定か(「具体的規範」)



 と区別した上で、そのマトリックスAA略



 (c)「一般的かつ抽象的法規範」

 (d)「一般的かつ具体的法規範」(=「個別事案法律」)

 (e)「個別的かつ抽象的法規範」(=「特定人法律」)

 (f)「個別的かつ具体的法規範」(=「特定人法律」)



 を想定する。〔260ページ〕



 その想定のもとで、19条1項1文は、主として、(e)(f)の「特定人法律」を禁止する規定だと理解する立場が大勢である*12。〔264ページ〕



 ところが、「特定人法律」の意味を理解するにしても、ある法律が「特定人法律」に当たるかどうかいろいろな困難が生じる。



 各論者の共通認識を抽出して、3つの場合分けすると、

 (1)単数・複数の特定人・特定団体を名指しした法律。
 (2)条文の内容からは受命者(人・団体)の範囲が特定可能な法律(単数・複数の特定人・特定団体の規制を意図していたが、その意図を隠すために法律の文言が一般的・抽象的な書き方をとった「偽装された」「隠蔽された」特定人法律、も含む。)
 (3)ある特定人・特定団体が立法の誘因になっていたとしても、文言は一般的・抽象的な書き方となっていて、少なくとも将来的には受命者の範囲が開かれている法律。(誘因法律)




 (1)(2)は【原則として】違憲、(3)は合憲という点で、学説はほぼ一致。*13



 ところが、(1)は違憲であると解されるがゆえに、制定される可能性はきわめて乏しいし、立法技術で回避可能。

 さらに問題なのは、(2)と(3)の区別や、合憲性に問題のない通常の一般的・抽象的規範との区別が困難であること。

 つまり、現代国家では、広く人一般・国民全員よりも狭い範囲のものを規制している法律が圧倒的に多い。

 しかも、コンピューター処理技術の発達により、名指ししなくても特定可能。〔以上、264−265ページ〕



 対象限定の法律が「許される・許されない」をどこで線引きするのか?

 判断基準がまちまちなので、「19条1項1文の目的は何か?」という制定目的から整理すると、



 (x)権力分立原理の保護

  一方で、個別法律は立法部の行政権の簒奪、法律形式による行政行為は「形式の濫用」だと考える立場がある。

  つまり、行政行為に当たる行為は、行政権に専属するから、法律では制定できない。

  しかし、「法律として制定できない領域はあるのか?」「行政権に専属するものは何か?」という疑問が生じる…。

  もっとも、行政法学者が「それは行政行為だ」といえば、「法律」自体では制定できないだろう、という推論自体は成り立つ。〔267−269ページ〕



 (y) (x)とあわせて、「平等権保護も」という見解

  「法律の一般性」という要請の背後には平等思想が存在し、また、基本法19条は「基本権」の章に存在する。

  しかし、同種の人間を相互に差別することを禁止する一般平等原則(基本法3条1項)と同一視すると、他者と比較不能な特別の性質や事情をもつ特定人に対する特殊な規律の必要性が高いほど、19条違反にならないのではないか?

  そこで、特殊な規律の必要性の判断に当たって、「社会国家原理」「過剰規制の禁止」といった憲法上の他の要請にも考慮が払われるベきという傾向。

  きわめて重要な1つの現象や1回限りの現象(例:1つの巨大な企業結合体の規制・1つの核最終処理施設の建設など)を法律で定めることが直ちに違憲になるとは限らないのではないのか?〔269−271ページ〕



 以上、主として「特定人法律」を禁止する規定だと理解する立場が大勢である。

 この種の法律は、19条1項1文が仕える「権力分立原理」「平等原理」の理念に、一般論としては抵触する。しかし、特定人法律も、受命者の範囲の区切り方に実質的根拠がある場合には、直ちに違憲とは言えず、むしろ平等の理念にかなうとされる。

 連邦憲法裁判所もまた、一度も19条1項1文違憲とはしたことがない。

 基本権領域に関して明文で「法律の一般性」を要求するドイツ基本法の現状は、その理念どおり実現するのは困難であることを示している。

 そうすると、「法律の一般性」の理念に基づいて、日本国憲法41条違反と判断するアプローチは、現代国家における立法の機能と技術の前に、おそらく現実味の乏しい選択だろう。〔272ページ〕

*1:初宿正典「法律の一般性と個別的法律の問題」法学論叢146巻5=6号(2000年)44ページ注24

*2:小山剛『「憲法上の権利」の作法』(尚学社、2009年)45ページ。また、高見勝利氏も、「『法律の一般性』といっても、その『一般性』は、『私法律』や『個別法律』にみられるように、いわば伸縮自在であり、立法者の活動が『恣意的』であってはならぬということ以上の意味は、ほとんどないものと思われる。」と指摘する。高見勝利「立法の『合理性』もしくは‘Legisprudence’の可能性について」『現代日本の議会政と憲法』(岩波書店、2008年)243ページ〔初出2004年〕。

*3:当然のことながら、ドイツの学説の類型をそのまんま使えるのかとかそういうことも考えないといけないのでしょうが…。

*4:渡辺康行・判例セレクト2004年、8ページ

*5:渋谷秀樹=赤坂正浩『憲法 1 (有斐閣アルマ)〔第三版〕』(有斐閣、2007年)133ページ(赤坂執筆)

*6:同「立法の概念」公法研究67号(有斐閣、2005年)197ページ

*7:具体例は、赤坂・公法研究67号198ページの質疑応答〔赤坂発言〕

*8:大石・前掲論文189ページ。ただ、例えば、アメリカの議論を参考にするのだとすると、「アメリカで禁止されている私権剥奪法を、日本国憲法において、どのように位置づけ(権力分立の問題?人権の問題?)、他の条項に吸収されない形で、つまり41条の「立法」の解釈のみによって、禁止されるのはどれくらいの範囲なのか?」など、いろいろと考える必要があるようですね…、未だに…。

*9:高見氏によれば、「学校法人紛争の調停等に関する法律」は、「立法的解決の限界事例として興味ある問題を提起しているが、もともと、実際に法律が作られる動機のひとつとして、きわめて具体的、個別的な事件があることを考えると、法律的処理と裁判的処理の限界はどの辺にあるのか、その線引きは決して容易ではないように思われる。」とのことです。高見勝利「『議員立法』三題」レファレンス629号(2003年6月)11ページ。http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/refer/200306_629/062901.pdf(PDF文書!)

*10:微妙に(?)、宍戸常寿「文面上判断と合憲限定解釈」法学セミナー652号(2009年4月)82ページと違うこと書いている罠…。(´・ω・`)

*11:1999年の論文執筆段階の情報です。その後の情報は、当然のことながら未確認です…(^^;。

*12:厳密には、「特定人法律」を排除できないとする「区別否定説」もあるが、「個別事案法律」と「特定人法律」を区別するのが学説の大勢で、こうした学説の主流も、禁止されるのは、「主として特定人法律だ」と考える立場と「特定人法律だけだ」と考える立場に二分することが可能である、とする。〔262−263ページ〕

*13:【原則として】が(3)にもかかるのかどうかは、ドイツの学説のみならず、日本語に詳しくない私にはよくわからないが、「合憲性に問題のない通常の一般的・抽象的規範」との対比から、両方にかかるのだろう…。たぶん。