ため〜いきの〜でるよ〜な…
「期待はずれだ」という感想を持つことを回避するためには、はじめから「期待」しなければイイ!って話。
とあるエロい先生は、かつて「六法は必ず引け。これは、英文を訳すときに英和辞典を引くようなものだ。」と言ったらすい。
これは、時と場合によりけりなのではないか?
「英和辞典」を例に出されても、相手方は「六法を引く」重要性について「ピンとこない」場合もあるのではないだろうか…*1。
つまり、英文を訳すときに英和辞典を引く癖がついていない・重要性がわかっていない人に、「英和辞典」を例に出されても、「???」なわけだ…*2。
専門用語がo(´□`o)ポンポン出てきて、全然ついてイケないという人に、「テキスト嫁」「辞書を引け」といってもダメ場合があるかと思われ。
この状態というのは、
「英英辞典」というと、引いたことがない可能性が高まるので*3、
「国語辞典」を例にたとえると、「国語辞典」を引いても、その内容にわからない単語が出てきて、さらにその単語を「国語辞典」で調べるが、さらにその内容に…、という状態なわけだが、そう説明しても、「国語辞典」をほとんど引いたことがない人に…、という状態である*4。
で、このような人に対して、「テキスト嫁」「辞書を引け」と言っても、「テキスト」「辞書」を読む・引いたことがない、読む・引くのが面倒、その内容を教えるのが先生の仕事、と思われてしまう場合がある、ということなのだろう…*5。。
そういえば、とあるエロい先生は、よく「ため息」をついていたそうな。
おそらく、自分の尺度からすると、「相手方がダメダメ」だから、面と向かって「ため息」をついておられたのであろう…*6。*7
そのエロい先生は、何年かの後、だんだんと、面と向かって「ため息をつく」ことはなくなったらしい。
一説によると、「丸くなったから」ということだった。
この場合の「丸くなった」とは、定義によるが、いろいろ(落差を)経験して人格的に丸くなった、ということなのだろうと思う。
しかし、そうではなくて、「落差を何度も経験した」ことで、自分より劣った者に対して、いろいろと「期待」することをやめたんぢゃないのかなと思ったり…。(´・ω・`)
*1:ただのぢょしこーせーの私に、代案があるわけではなく、その重要性についてきちんと説明できないので、アイデアキボンヌ。まあ、ただのぢょしこーせーなので、そのアイデアすら、不要なんだけれど…(^^;。
*2:などと、面と向かって言ったりすると、「バカにしている!」「訴えてやる!」ということになる場合もあるらすい。
*3:などと、面と向かって言ったりすると、「バカにしている!」「訴えてやる!」ということになる場合もあるらすい。
*4:などと、面と向かって言ったりすると、「バカにしている!」「訴えてやる!」ということになる場合もあるらすい。
*5:これについても、ただのぢょしこーせーの私に、代案があるわけではなく、その重要性についてきちんと説明できないので、アイデアキボンヌ。まあ、ただのぢょしこーせーなので、そのアイデアすら、不要なんだけれど…(^^;。
*6:このように面と向かって「ため息をつく」と、「バカにしている!」「訴えてやる!」ということになる場合もあるらすい。「あの先生は、やる気がない」「センセイ、ため息をつくと不幸になるよ」「ため息をつかれた自分が悪い」とは言われないわけだ…。
*7:「相手方がダメダメ」と書いたけれど、「(思ったようにはいかないから)自分がダメダメ」と思ってため息をつく場合とか、いろいろあると思うんだけれど、そうは認識されないんだろうな…。