「目的効果基準」と「新しい基準」(その3・完)

 予告したように、タイトルの通りに【「目的効果基準」と「新しい基準」の相違点】を書くはずなのですが、【今月21日付の日経新聞の社説の表現に「???」だったこと】が気になっているので、それを取り上げて、ひとまず、完結させてしまおうかと…(結果的に「釣りタイトル」?)。




4.21日付の日経新聞の社説に対する疑問

 前々回の日記で引用しましたが、社説の一部を再掲。

 政教分離原則に反するか否かを、裁判所は、1977年に最高裁が津地鎮祭訴訟で示した目的効果基準に照らして判断してきた。「国などの行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長または圧迫、干渉になるか否か」の物差しにあてるのである。

 政治的な影響が大きい靖国神社護国神社を巡る訴訟ではない今回の事例について、目的効果基準だけで違憲性を考えてみよう。

 すると、藤田宙靖裁判官が補足意見で指摘したように「宗教施設としての存在感が大きくない点を重視するなら、市有地の無償提供が直ちに他の宗教あるいはその信者らに対する圧迫、脅威となるとまではいえず、あえて憲法違反を問うまでのことはない」とする判断も可能だろう。

 明らかに宗教施設である神社に市が敷地を無償で提供する行為が政教分離原則に反しない、という不自然な結論にたどり着くのを避けるために最高裁は、目的効果基準のみにこだわらず「一般人の目」という新たな物差しを持ち出したようだ。政教分離規定を厳しく解釈した判決といえよう。

  引用元:日経ネットの“社説2 政教分離を厳しくみた最高裁(1/21) ”

(1)愛媛玉ぐし料訴訟最高裁判決の捉え方の問題

 1段落目。

 まず、前回の日記であまり詳しく書かなかったのですが、「目的効果基準に照らして判断」とは「『国などの行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長または圧迫、干渉になるか否か』の物差しにあてる」と同義であるとした場合、ここにいう「目的効果基準」とは何か?

 おそらく、ここでいう「目的効果基準」は、前回の日記で書いたように、

 (k)憲法二〇条三項にいう宗教的活動とは、およそ国及びその機関の活動で宗教とのかかわり合いを持つすべての行為を指すものではなく、そのかかわり合いが右にいう相当とされる限度を超えるものに限られるというべきであって、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきである。
 (l)そして、ある行為が右にいう宗教的活動に該当するかどうかを検討するに当たっては、当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく、当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従って、客観的に判断しなければならない。

 の一部しか引用していないけれど、これらすべてを指すはずです。

 さて、そのように解した場合、「目的効果基準に照らして判断してきた」とするわけだから、当然、愛媛玉ぐし料訴訟でもまた、その「目的効果基準に照らして判断した」という記事のはず。【「目的効果基準」だけ】で判断したという記事のはずだということです。

 これは、以下の【前提】となります。



 2段落目。

 「政治的影響力」云々という表現自体が、少なくとも、私の中では、「???」でした。別の表現だったらスルーしていたかも知れないし*1、後続の【「仮定」「可能性」を前提とした「断定」的な表現】〔これは(2)で検討する。〕がなければ、当然スルーしていたでしょう…。

 で、たとえば、「政治的な影響が大きい靖国神社護国神社を巡る訴訟ではない今回の事例」とは逆に(?)、「政治的な影響が大きい神社、護国神社を巡る訴訟である以前の事例」を妄想してみましょう。

 ここも1段落目と同様に、愛媛玉ぐし料訴訟は、「政治的な影響が大きい靖国神社護国神社を巡る訴訟である以前の事例」に含まれるはずです。

 そうすると、次のような疑問が出てきました。

 では、ここにいう「政治的な影響が大きい」とは誰が認定したのか?
 つまり、社説の執筆子が、読者のために、「靖国神社護国神社は政治的な影響が大きい」のだと、それらの神社・以前の事例の特性をわかりやすく説明するために書いたことなのか?
 それとも、「靖国神社護国神社が政治的な影響が大きい」と裁判所は認定して違憲判決を下したと認識して書いたことなのか?

 前者だとしたら、「靖国神社護国神社は政治的影響が大きいから、それに対する公金支出について、違憲判決が出たんだ」という誤解を与える可能性が大きい…。また、首相が、公式参拝で公金支出したとしたら、(出訴が認められるのであれば当然)違憲判決が下るという「誤解」も生む可能性もある。

 もちろん、「今回の事例との対比で、政治的な影響力が大きい・小さい」を述べたまでで、「今回の事例は、政治的な影響力の小さい事案(神社に限定)で政教分離の初の最高裁判決だ」という意味だという「反論」(?)があるかもしれない*2

 しかし、それでも、「愛媛玉ぐし料の事案は、政治的影響が相対的に大きいから違憲判決が出たんだ」という誤解を与える可能性が大きい…(首相の場合も同じく。)。

 さらに、逆に、政治的影響が大きくない今回の事例の場合は、政治的影響が大きくがない(相対的に大きくない)ゆえに、「新たな物差しを持ち出した」と誤解される可能性もある。



 後者だとすると、この訴訟では、目的効果基準に照らして(=だけを使い)、政治的な影響が大きいからということ【も】理由にして、違憲になったという認識だということになる。

 果たして、裁判所は、政治的な影響が大きいからということ【も】理由にして、政教分離違反と言ったのでしょうか?

 つまり、前回引用した部分、また、引用しなかった部分である違法性の検討の部分を理解されているのか、また、(もちろん一度も読んだこともないとは断定はしませんが)実際に判決文を確認した上で執筆されたのかどうかすら、あやしぃ希ガス…。この執筆子がマイミクにいて、かつ、この文章が日記に書かれていたら、いろいろ聞き出そうとするんだけれどなあ…。あっ、いつものように、スルーしているかも…。(><;

 例えば、(l)の「当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響」というのは、「4要素」とされるのですが、どのように4つに区分するのが通例だとご存知なのだろうか?(執筆子をバカにしすぎ?)

 また、愛媛玉ぐし料事件の最高裁判決の場合、 PDF文書2〜3ページの「2 本件支出の違法性」のところで、 違法性を認定しているわけですが、ここで、「政治的な影響が大きい」ということを明示しているのか、また、判決文からそういう「読み方」ができるのかを、確認した上で執筆されたのだろうか?という点が疑問なのです。
 まあ、これらの点は、人によって「理解」が違うわけでして、いくつかの論者の相違を長々と引用した上で、私なりの説明をダラダラグダグダとしてもいいわけですが、パス…。(´・ω・`)



 以上のことは、どこかの段階で想定(妄想)が間違っていたら、その段階以降は「誤解」になってしまいますが…(^^;。



(2)“今回の違憲判決”に対する評価*3

 「政治的な影響が大きい靖国神社護国神社を巡る訴訟ではない今回の事例について、目的効果基準だけで違憲性を考えて」みた場合、
 「明らかに宗教施設である神社に市が敷地を無償で提供する行為が政教分離原則に反しない、という不自然な結論にたどり着く」ことは必然的なことなのか?

 この疑問は、引用した社説の部分の3段落目の【前提】を抜かしたための「誤解」?

 その点については、まず、藤田裁判官おひとりによる「補足意見」であって、その「補足意見」を鵜呑みにして、「」結論づけることはマズイのではないのか?

 また、これも「形式論理」だけれど、「宗教施設としての存在感が大きくない点を重視するなら」という【仮定】の下で、「憲法違反を問うまでのことはない」とする判断も【可能性】があるというだけであって、その【必然性】はないのでは?*4

 だから、その【可能性】を【前提】に、「政教分離原則に反しない、という不自然な結論にたどり着く」と【断定】できるのか? 逆に、「目的効果基準」だけを用いても、「政教分離原則に反する」という結論をとることができたのではないのか?

 だって、最高裁ぢゃないけれど、今回の事件の地裁・高裁は、「目的効果基準」使ったんでしょ*5

 また、「目的効果基準」自体が「目盛りのない物差し」(愛媛玉ぐし料事件の高橋久子裁判官の「意見」、PDF6ページ)と言われるくらいなのだから、「目的効果基準」だけを使って違憲にすることくらいできるのでは?



 まっ、「脊髄反射的」に言うにしても、これくらいのことは言えそうだ。

 あれ?これだけだと、全然、判決の検討をしていない罠…。(´・ω・`)

 しかし、こんな「脊髄反射的」な疑問を想定せずして、社説として書くはずがない。いくら翌日に社説として掲載するという時間的制約・限られた紙面に掲載するという字数的な制約・素人にわかりやすくするという表現上の制約などがあるからと言って…。

 だから、もっと批判するのであれば、もっときちんと判決を読み込んでから…。(´・ω・`)*6



5.若干の感想

(1)日経新聞の社説について

 結局、今回の最高裁判決について、ほとんど分析しませんでした。それは、【今月21日付の日経新聞の社説の表現に「???」だったこと】を書く上で分析する必要がないだろうという【私の思い込み】によるものもあるし、これ以上長くなるのも問題かなと思う部分もあるからです…。

 実は、何人かの知人からは、「日経新聞でしょ、経済が専門ぢゃない。それ以外の分野がひどくても仕方がないぢゃない。」とか、「日経新聞の社説なんて読む人いないよ。」*7とか、「そもそも新聞の社説とか解説って、記者が書くものって、大したことないから、ネットで探すとか、専門の文献を読むべき。」などと言われましたが、それはそれで一面的だと思ったので、一応、検討しようかと思いました。もちろん、他の記事よりも「???」だったからでもあります…(^^;。



(2)「新しい基準」について

 個人的には、新聞各紙が「新しい基準」という見出しをつけたり、言及していたりして、驚きました。もちろん、前回紹介したような「目的効果基準」に対する私のあいまいな理解・広い定義づけをしていたからというのもあります。

 ただ、何というか、【「従来の基準」と「新しい基準」の関係】をさほど説明していない・まったく説明していない記事ばかりだったので、まさに「一人歩き」しそうな取り上げ方だなと思いました。

 特に、日経新聞の社説を読むと、「新しい基準を使ったから違憲判決だったんだ、新しい基準を使わなければよかったのに!!」「新しい基準を使った裁判官ケシカラン!!」と思われてしまうのではないのか? そう感じました。

 もちろん、21日付の新聞記事でも、ネット記事でも共同通信は「補完」という言葉を使っていたし、紙媒体で読んでいれば、例えば、全国紙でいうと読売・朝日・毎日の記事を読んでいれば、ここで書いたほどの危惧を抱く可能性は低かったかもしれません。



 あ、そこで思い出しますた〜。ネットでいうと次のような指摘がありました。もちろん、この見方(毎日新聞の指摘・ある民事裁判官の分析)が妥当かどうかも、法廷意見・藤田補足意見を含む今回の判決の意見と同様、別途検討が必要ですが。

 今回の判決は目的・効果基準ではなく、「宗教施設の性格、無償提供の経緯や態様、これに対する一般人の評価など諸般の事情を考慮し、社会通念に照らして総合判断すべきだ」との新しい「物差し」を示して判断した。

 ただし、従来の基準に取って代わったとは言えない。ある民事裁判官は「土地提供のような継続的行為が問題になる場合、どの時点について『目的』『効果』を考慮すればいいかは不明確。このため、問題に即した新しい基準を示したのでは」と分析する。実際に判決文に目的・効果基準への言及はなく、否定したのではないとみられる。

 今後も個々の政教分離を巡る争いは、事案ごとの事情によって判断されることになる。「物差し」の明確化は今後の課題として残っている。

 引用元:21日付の“クローズアップ2010:「市有地に神社」違憲 対応迫られる自治体 - 毎日jp(毎日新聞)”*8




(3)自治体の反応について

 これもネット記事から引用。

 「違憲状態と指摘された以上、解消しなければいけないが、差し戻し審で打ち出された解決策と食い違っても問題になる」と頭を抱えた。

 引用元:21日付の“asahi.com:「最善策 住民と模索」 政教分離訴訟-マイタウン北海道”

 記事によると「売却や有償契約は住民に負担を強いることになるので、まずは地元と話し合いたい」とする自治体、「何らかの契約をしよう」とする自治体、「すでに無償提供を見直した自治体」などさまざま。

 その中で、上で引用したように、「差し戻し審で打ち出された解決策と食い違っても問題になる」と頭を抱える自治体(の職員)もおられるようだと…*9

 海外在住なもので、直に見たわけではありませんが、紙媒体の記事では、国の指針を待ってから動くというような自治体もあったらしいし…。

 ここは、判決文を検討して自分たちの知恵を絞る自治体かどうかの判断材料になりそうですね…(^^;。



 以上、あまり大したことは書きませんでしたが、以上でこのシリーズを一応終わりたいと思います。

 期待した方はあまりおられなかったと思いますが、更なる検討をブログで書く可能性は低いかもしれません。(´・ω・`)ダメダメダヨ〜ネ

*1:何が適切な表現かはよくわからないけれどw。ただ、今回の事例とは、いろいろと違うはずですからね。その違いを表現できるかどうかというのが、これらの件について【センスがある】かどうかというにもつながるのかも…。今回の事例は、靖国神社護国神社とは異なるという文脈(後者が前者とは異なるという文脈ではない。)で今回の事例と類似の事例でという意味でだけれど、例えば、21日付の読売新聞の記事には、「宗教法人化していない“地域の氏神様”のような小さな神社や、神社と一体化し、ふだんは公民館として利用されている施設」という表現がある。これだと「政治的な影響が大きい」と比較して、長すぎるということになるのかも…。それならば、例えば、21日付の産経新聞の記事には、「地域社会に伝わる行事や文化がその地域の伝統的な宗教と密接な関係にある」という表現がある。このような説明でOKかどうかはまた別の問題だけれど。

*2:しかし、「初めて」という点に着目すると、ごみ焼却工場の建設管理事務を処理する一部事務組合が、地元対策として、神社の境内入口まで通じている道路の改良工事を行い、その代金として公金を支出したことが最高裁で争われたことがある。ただし、合憲だけれど(最判昭和63年12月16日、判例時報1362号41ページなど。)。

*3:ここで、ようやく、 日記の「タイトル」と整合的www

*4:「本件において,敢えて目的効果基準の採用それ自体に対しこれを全面的に否定するまでの必要は無い」(PDF文書15ページ)とした上で、その「指摘」(同16−17ページ)がなされているが、その「指摘」自体は、憲法違反にしなくてもいいのではという疑問をもつ人もいるんぢゃない?という「確かに」の部分であって、「しかし・したがって」の彼の主張はその後にある。

*5:あら、最高裁判決からは読み取りにくいか…。控訴審判決は、“こちら”控訴審判例評釈として、多田一路「最新判例演習室」法学セミナー634号(2007年10月)109ページ、林知更「市有地上の神社と政教分離原則」平成19年度重要判例解説有斐閣、2008年)159−160ページ。地裁・高裁の評釈として、佐藤雄一郎「非宗教団体の宗教活動と政教分離」東北法学33号(2009年)117−140ページ。

*6:いや〜、それにしても…。

*7:いや、毎日の日課にされている方もおられるし…。アルファーなブロガーの方にも…。

*8:注5の佐藤雄一郎氏紹介の記事と同一内容だが、別URLをリンクした。

*9:最近の取材記事は、「あてにならない」という面もあるし…。