腰だめはダメ?・その2(後編)

 今日は、メインテーマの「腰だめはダメ」ということとの関連で「今回の感想」を述べることのほか、奇特な読者の方にお尋ねしたい点でもある、「Aさんが【そもそも無効な行政行為には規律力が無い】と断定調な表現をする点」について書きたいと思います。

 が、積極的に質問にお答えいただくことを期待しているわけでもないので質問事項を整序して書かないし、不勉強なただのぢょしこーせーの文章ですので、きちんと勉強されたい方は、当然のことながら原典に当たられることをお勧めします。m(_ _)m




 全部は使わないけれど、文字化けを回避しつつ表記の統一も兼ねて、塩野教科書 全3冊のうち2冊の略語を示すことにします。

(1)『行政法<1>』
 初版(1991年):[<1>初版:○○ページ]
 第二版(1994年):[<1>第二版:○○ページ]*1
 第三版(2003年):[<1>第三版:○○ページ]
 第四版(2005年):[<1>第四版:○○ページ]
 第五版(2009年):[<1>第五版:○○ページ]
(2)『行政法<2>』
 初版(1991年):[<2>初版:○○ページ]
 第二版(1994年):[<2>第二版:○○ページ]
 第三版(2004年):[<2>第三版:○○ページ]
 第四版(2005年):[<2>第四版:○○ページ]




2.Aさんの書き込みに対する「疑問」

 (5)【そもそも無効な行政行為には規律力が無い】と断定調な表現をする点

  (a)まずは、Aさんに感謝

    何はともあれ、こういう表現をしてくださったAさんに感謝です。

    不勉強な私にとっては、非常に勉強になりました♪*2

    というのは、コメントを読んだ瞬間、【塩野説も、「無効な行政行為には、取消訴訟の排他的管轄は及ばない」という説明だったんぢゃない?】と思ったからです。

    「そう思っただけで、書き込みをする」ことがないようにする、というのが【本シリーズのメインテーマ】…。

    だから、【「規律力が無いかどうか」という視点】で実際に調べてみる、というきっかけを作ってくださったという意味で、感謝するということです…♪



  (b)種明かし

    「ひねくれている」と思われるかもしれませんが、2点「種明かし」を。

    まず、「規律力」なる用語が塩野教科書に登場したのは、前回の日記で最初に書いたように、[<1><2>第三版](2003年・2004年)です。[第三版]以降で勉強したかどうかで、塩野説に対する「認識」が変わるかもしれません…(例:【塩野説も、「無効な行政行為には、取消訴訟の排他的管轄は及ばない」という説明だったんぢゃない?】)*3

    しかも、後述するように「規律力そのものを否定する」という記述は、[<2>第四版:78ページ](2005年)78ページにありますが、その部分にしかありませんし、当然のことながら、それ以前の版にはありません。



    次に、「規律力説」ですが、塩野説に限らないということです。前回の日記では、大橋氏・宇賀氏の教科書を例に出しましたが…(^^;。

    で、今回は、なぜか、山本説を思い出して、どこに書いてあったかをテケトーに探した結果、幸運にも探し当てることができました…♪



  (c)私の最初のコメント

 「そもそも無効な行政行為には規律力が無い」のはなぜなのでしょうか?
  定義上、「法律上認められてい」ないから、とか、「一方当事者である私人の合意なくして法律関係を形成させることが〔不〕可能」だからなのでしょうか?

 なにぶん不勉強なもので、参考になる文献でもいいので、お教えいただければ幸いです。m(_ _)m

    「塩野教科書を読め、回答する実益を感じられない」という趣旨の回答がありました。

    私としては、塩野教科書のどの部分から「規律力が無い」と断言されたのか、また、実益が感じられないということに疑問を感じました…。(´・ω・`)*4

    だから、2つ目のコメントを書いたわけですが、それに対する回答がなく、以前のコメントを削除されたのです…。

    だから、いつものように、「妄想」を働かせなければなりませぬ…。(´・ω・`)



  (d)塩野教科書における「無効な行政行為に規律力が無い」という記述の存否

    さて、前回分も含め、一番自信がないところです。

    まず、先に触れた[<2>第四版:78−79ページ]を引用。

 取消訴訟によって法的行為としての行政行為そのものの存在をなくす(……行政行為の規律力そのものを否定する)ものとみるのが正当である(……)。

    この一文は、[第四版]で追加されました。

    つまり、規律力が登場した[第三版]ではなく、翌年の[第四版]で、従来の「取消訴訟の機能」の前に追加された「取消訴訟の意義」という項目の中に登場してきます。

    取り消しうべき行政行為は、取り消されるまでは規律力が存在し、取り消されることによって規律力が否定されるということになります。



    では、[第三版]以前から存在する文章で、「規律力が無い」ということが読み取れないのか?

    上記引用の2つある「……」の前者のほうに、[<1>第四版:151ページ]とあるのですが、実はどの部分なのかよくわかりません*5。(´・ω・`)

    おそらく、最新版の[第五版](2009年)でいうと、145ページの次の部分が、特に該当する、のでしょう。

 いいかえると、無効の場合は別にして、処分が取り消される裁判所も処分が有効であることを前提として判断しなければならない……。このように、行政行為は仮に違法であっても、取消権限のあるものによって取り消されるまでは、何人(私人、裁判所、行政庁)もその効果を否定することはできない、という法現象を指して、通例、行政行為には公定力があると表現されるのである。

    取り消しうべき行政行為が取消判決によって「規律力そのものが否定される」のだから、ましてや、無効な行政行為をや…。

    「〔形成訴訟説から見て〕原告との関係で処分はもとからなかったことになる」[<2>第四版:163ページ](形成力)わけですね…。だから、無効な行政行為は「もとからない」に決まっているわけで、無効確認訴訟は、まさに「確認」するんだということになるのでしょうね…(^^;。

    私も、それが素直な読み方だと思います。



    ぢゃあ、「なぜ質問したのか?」って?

    だから、【「そもそも無効な行政行為には規律力が無い」のはなぜなのでしょうか?】と質問したのであって、【塩野説も、「無効な行政行為には、取消訴訟の排他的管轄は及ばない」という説明だったんぢゃない?】とは言っておりませんw。

    「規律力が無い」理由がきちんと書かれているのでしょうか?

    私も「当たり前だのクラッカー」と思っていましたが、〔過去の議論も知っているが、その理解が不十分すぎるがゆえに?〕「どーして無効な行政行為に規律力が無いのかな?」と思ったわけです。

    「制定法のシステムを前提とする」のであれば「公定力」([<2>第四版:83ページ])、制定法のシステム自体を指すならば「取消訴訟の排他的管轄」([<1>第五版:142ページ])を理由にすればよいのではないのか?

    そうすると、そもそも、塩野説にとって、【規律力って何?】【「規律力」と「公定力」を区別する意義はどこに?】…(´・ω・`)(教科書に一応ニホンゴで、しかも版を重ねるごとに詳しく書かれているけれどね!)*6




  (e)Aさんの説明

    もっと言うと、コミュにおいて最初に回答されたお二方が「重大かつ明白な瑕疵=無効」と言っておられたこともあって、「重大かつ明白な瑕疵であるから、規律力が無いことは当たり前だのクラッカー!!」などと言ってくれないかなぁ〜と、新司法試験合格者に対して失礼ながらも、期待していた側面があったり…(^^;。

    つまり、確かに、Aさんは、簡潔に「有効な行政行為には規律力はあるが、無効な行政行為には規律力は無い」というようなことを述べられていましたが、その理由として「重大かつ明白」というフレーズを使えばおそらくアウトですし、「明白性補充要件説」という単語を出しても、こういう説明のしかたは、Aさんが回避できると強調された「循環論」に陥っているような希ガス…。(´・ω・`)



    あと、教科書の版についてですが、Aさんの頭の中で、塩野教科書の記述内容をヴァージョンアップさせていたかどうかですね…*7。もしかすると、Aさんがコメントする際に使っておられたのは、<1>も[第四版]なのではないかと。前回の日記で紹介したように、私に対する回答の中で、規律力説の意義を、循環論の回避〔のみ?〕とされるわけですから…。

    まあ、今年度の新司法試験合格者ですから、今年度発売された[第五版]を読まれた可能性は大だし、コメントするのも面倒だから説明を省略された可能性も大ですが…(^^;。



  (f)Aさんは「念頭になかった」かもしれない山本説

    これも、「揚げ足取り」「ただの意地悪」になるのでしょうか…(^^;。

    でも、A氏の最初のコメントでは、「塩野説」だと明言されていなかったんですもの…><;。

    それにしても、Aさんは、果たして、山本説をご存知だったんでしょうかね…(^^;。(=知らないことが「恥」ではない。知らないことは必要なときに調べればよい。「ググレカス」のいわば上位版であり、「腰だめ」がイクナイということ。)

    ↓は、(a)で引用した私のコメントの続きの部分です。

 ちなみに、山本隆司氏は、

 > 行政処分が無効の場合も、そして行政処分に規律された法関係を形式上対象とする訴訟についても、抗告訴訟の手続をとることが適切と思われる。まず、行政処分の無効確認という請求及び判決の形式自体、規律力という行政処分の特性に対応する意味を持つ…

  とされます(同『行政上の主観法と法関係』486ページ)。
  主張が明確で、かつ引用しやすいコンパクトな文章を探したのですが、(ちょっとだけ探しただけですが)短い論文では見つからなかったので、モノグラフィーから引用しました。

   私が、こういう文脈で使えるかどうかという意味で、この文章を「曲解」しているかもしれないし、その後「改説」されたかどうかはよくわかりません…(^^;*8

   そして、前回、阿部泰隆『行政法解釈学〈2〉実効的な行政救済の法システム創造の法理論』(有斐閣、2009年)68ページを紹介する際に述べたように、私は、「劣化コピー」として、表面的に異なる見解を提示しただけであって、それを踏まえて、議論のやり取りの継続を期待したんですが…。(´・ω・`)


 
3.今回の感想

 (1)「今回も、うまく議論できなかったな」と…。(´・ω・`)

   コメントが、たった2往復で終わるとは予想だにしませんでした…。

   Aさんは、「腰だめ」で議論されていたのか、それとも、読んでも「思い込み」が強かったのかもしれません。

  「私も背伸びして書いていますし、無理にコメントしなくてもいいですよ」というようなメッセージしたんですが、それが逆効果だったのかな?

 (2)この論点についても、例のごとく、私の不勉強さを痛感させられたし…*9
 (3)狭き門を見事突破された新司法試験合格者に対して言うのも何ですが、果たして、塩野説を理解されていたんでしょうかね。

   もちろん、ただのぢょしこーせーである私が【塩野説の全体像】を理解しているかと言われれば、「???」ですが、Aさんに言われる以前の「準備段階」として、該当しそうな部分は読んでいましたからねっ(「教科書を読む」って、通読しないのかよ!)。

 (4)山本説を知っていたかどうかということに関連しますが、

   ロースクールでの講義・自らの試験勉強で、どこまで【代表的な文献】を読んでいるのかどうかですね…。

  つまり、ロースクール・試験勉強の数年間で、例えば、【全教科の代表的な論点についての代表的な文献】を、どこまで読み、しかも、どこまで理解しているのかですよね…。

   このへんは、「いかに短期間に、いかに効率的な勉強の仕方で合格するのか」という試験勉強の現実と、ただのぢょしこーせーの私と「問題意識」が違うかもしれないですね…。

   仮に「行政法自治体法務に興味がある」方であったとしても…。(´・ω・`)

 (5)Aさんのプロフィール等を拝見した時の記憶からの勝手な妄想ですが、

   かつてmixiに入会していたかどうか知りませんが、

   入会がごく最近のidだったことのほか、

   書き込んだトピにレスがついたことに気がつかなかったこと、

   共通のマイミクさんの存在から別の行動をとられたこと、
   というような、まあ、「私も4年前だったら、そういうことしていたかも…」という「初々しさ」を感じる出来事がありました。

 (6)しかし、コミュのコメント・自己紹介の削除、コミュの退会などをするということは、結局のところ、「頭かくしてなんとやら」です。
   そのようなことをして、逆に「炎上」したりするような場合があることをご存知だったのでしょうか?
   老婆心ながらですが、今後は、気を付けられたほうがいいのではないかと思います。

 (7)まあ、私としてはマイミクになるチャンスを逃したことになりますが*10

   熱狂的ドラファンさんにとりましては、細かい事にこだわって「揚げ足取り」をするなど「ウザい」私とネット上で関係する全く必要はないわけです(ただの時間の無駄)。

   いずれにせよ、次の試験に合格して、所期の目的を達成されんことを、期待しております。(´・ω・`)ノブレスオブリージュ・・・(← これが感想の中で一番重要。)



 以上、読んでくださった方、長い駄文にお付き合いくださり、ありがとうございました。m(_ _)m
 また、何度も同趣旨の文章を読んでくださった方、時間の無駄にならなかったでしょうか…(^^;。



 何かお気づきの点がありましたら、広い心でのコメント、よろしくお願いいたします。m(_ _)m*11

*1:増補版と銘打ったものもあるが、奥付には残っていないし、まあいいや。そうすると、増刷時での補訂も当然に省略できるし…。初版は、「改訂合本」となっていますが、前身の講義録についても省略…。

*2:不勉強であり、しかもドヂでのろまな私ですから、私自身、「特に自信がない」と思っている、以下の記述は、「誤解・曲解」だらけかもしれませんので、特にご注意くださいませ。m(_ _)m

*3:ちなみに、最近は誰も信じてくれないようですが、私はただのぢょしこーせーです!!

*4:引用元を示さなかったけれど、塩野教科書からの引用だと、気がつかれなかったのかな?

*5:ちなみに、後者の「……」は、雄川一郎『行政争訟法』(有斐閣、1957年)59ページも「同趣旨と思われる」とされるのですが、ただのぢょしこーせーには、よくわかりません…。(´・ω・`)

*6:ちなみに、塩野宏行政事件訴訟法改正論議管見」『法治主義の諸相』(有斐閣、2001年)321−322ページ〔初出1996年〕では、「行政処分を中心とする公権力について3つの異なった意味がある」として、(1)その一つが、「権利義務関係の法主体の合意なしに、…行政機関の意思により変動させるという意味における権力性」を「行政の規律権力と言ってよい」とし、(2)「この規律をめぐる紛争が生じたときに、実定法が私人の法行為にはみられない特別の手当てをしているときの、その特別の手当ての結果として規律権力の通用力の意味における権力性」などがあり、(2)の意味での権力性が、現行法上の公定力および不可争力にあたるとした。そして、今日の一般的な理解によれば、(2)の公定力・不可争力の制度的根拠がそれぞれ、取消訴訟の排他的管轄、行訴法の出訴期間の定め、だとしていた。

*7:規律力の意義のところが、[第五版]で大幅に増えている(三段落目、140−141ページ。

*8:後者についていうと、山本隆司「処分性(4)」法学教室335号(2008年8月)55ページは、「私自身、かつては抗告訴訟の発展、行訴法改正後は公法上の当事者訴訟の発展に、いささか偏った叙述をしていたことを、反省する必要を感じている。」と述べられています。この点について、ただのぢょしこーせーの私自身は、「無効な行政行為にも規律力がある」ということは曲げられないだろう、と思っています…(^^;。

*9:で、論争するために、泥縄で、不十分な準備をするわけだが、一部の邦語文献について数万円投資したとしても(ていうか、本格的にすれば、1桁か2桁違いますよね。)、所詮は付け焼刃…。(´・ω・`)

*10:でもね、ぢょしこーせーの私にとって、見知らぬ人とお友達になる場合には、ネット上であっても「リスク」な部分がありまして、例えば、日常の生活を知りたがる人とか、感情的に口論・粘着する傾向にある人とか、あとで仕返しするような人とか…。今回の場合、マイミク申請の前にすでに私がコミュにコメントを書き込んでいたので、そのへんを一応、見極めないと承諾できないと思ったんですよね…。(´・ω・`)

*11:うわー、今回も、コピった文献、読んだ文献を全然活用していない罠。読んでいない・理解していないからということが最大の要因だけれど…。(´・ω・`)