腰だめはダメ?・その2(前編)

 実は、年末と年始、珍しく、自分のmixi日記から飛び出して、2件、具体的には、日記(年末)とコミュ(年始)に、書き込みを行ないました。

 両者ともに、「教科書をニホンゴとして読めていますか?」という疑問を投げかけるものでした。

 そして、その2件があったがゆえに、前回の日記(≒確認もせずに、不正確な記憶をたよりに発言するのはまずいのではないか?)を書く気になったわけです…(^^;。

 ちなみに、後者は、まさに、このブログで、前回の日記を書いたその日でした。

 というわけで、今回は、後者について、取り上げることにします。
 なお、諸学説の基本的な説明をなるべく回避したものの*1、内容的にワード文書1ページで収まるはずが、今回のと合わせて9ページにまで膨らんでいます(まだ鋭意執筆中w)。

 というわけで、長いので、2つに分割することにしました。m(_ _)m




 まず、最初に言っておきますが、

 mixiのことなのに、わざわざ、こちらにも書くのは、アクセス数が少ないブログではあるものの、行政法に詳しい方が何名か読んでいただけるのではないかと思うからです…(^^;。(特に次回の日記が問題なのですぅ…。

 つまり、「間違っていたら、やさしく指摘くださるであろう」という「甘い考え」があるからです…(^^;。



 また、他の読んでくださる奇特な方も、ただのぢょしこーせーの私が書いたものですので、以下の記述をあまり信用せずに、それよりも、定評のある教科書等を読まれることをお勧めします。m(_ _)m



1.経緯*2

 (A)12月上旬、とあるコミュで、トピを立てて、次のような質問をされた方がいました。

   要するに、(公務員試験対策の問題集の解説や大学で使用する教科書などの記述が理解できなかったので)取消訴訟の排他的管轄とは何か?をわかりやすく説明してください、ということでした…。

 (B)質問のあった当日に、お二方が説明を試みられ、それに対して、その当日に質問者のレスもあったし、理解もされたご様子でした。*3

 (C)後日、同コミュの別トピにて、新司法試験合格者で、かつ、自治体法務に興味がある、と自己紹介されていた方(Aさん)が、「別の説明」を試みられた。

   問題は、後述するように、その記述の内容です。つまり、「解説者が解説を間違っているのではないのか?」*4ということです。

  なお、その自己紹介からして、ハードルを上げた側面があることは、予め「自白」しておきます・・・(^^;。

 (D)さて、迷った挙句なのですが、結局、正月早々(1日)、次のような質問をしました。

※「今日の公定力論の通説といってよい」とのことですが、そう思われる理由をお聞かせいただけませんか?

※「そもそも無効な行政行為には規律力が無い」のはなぜなのでしょうか?
 定義上、「法律上認められてい」ないから、とか、「一方当事者である私人の合意なくして法律関係を形成させることが〔不〕可能」だからなのでしょうか?

 なにぶん不勉強なもので、参考になる文献でもいいので、お教えいただければ幸いです。m(_ _)m

 (E)その後、1往復のコメント(及びメッセージ)のやり取りをして、計2往復のコメント(及びメッセージ)のやり取り…。

 (F)後日気がついたことですが、Aさんは、当該コミュのコメント・自己紹介の削除のほか、当該コミュから退会され、さらに、私をアク禁に…。(´・ω・`)



2.Aさんの書き込みに対する「疑問」

 なにぶん、Aさんのコメントが削除されているので、Aさんのコメントの内容(要旨)が不正確かもしれませんが、私の「疑問」は、大きく5つ。

【疑問点の目次】
 (1)「公定力」と区別された「規律力」が【教科書に書いてあるはずだ】とする点

 (2)【「規律力」という用語を用いる学説だけが、「手続的公定力観」による】というように読める表現をする点

 (3)【この学説が、今日の公定力論の通説といってよい】とする点

 (4)【この学説によれば、「取消訴訟の対象と権力的行為の循環」*5を断ち切ることができる】とする点

 (5)【そもそも無効な行政行為には規律力が無い】と断定調な表現をする点

 そして、これらの「疑問点」について、回答がないままなので、いつものように「妄想パンダ」にふけることにします…。*6



 (1)「公定力」と区別された「規律力」が【教科書に書いてあるはずだ】とする点

   まず、そもそも、「規律力」を「紹介」する教科書って、どれくらいあるのか?

   最近(つまり、塩野教科書[第三版]以降)出版・改訂された教科書に限ったとしても、まだまだ少ないのではないのでは?(有名どころでは、塩野氏・大橋氏・宇賀氏の3教科書。しかし、例えば、原田氏・芝池氏・藤田氏の3教科書は?)

   (塩野氏門下によるものを含めて)初学者向け・薄い教科書であれば、なおさら、書かれていないだろうと…。

   私自身は「攻撃側」ということで、短期間とはいえ準備する余裕はあったはずですが、ふまぢめだし、海外在住だし、しかも年末年始とあって、大してチェックはしませんでしたが…*7。(´・ω・`)ダメダメ

   それにしても、Aさんは、実際に、教科書を「どの程度」確認された上で、コメントされたのだろうか?(=「腰だめ」ではイクナイのでは?)



   ついでに、この項目で書きますが、次の(2)で取り上げる「手続法的公定力説」「実体法的公定力説」っていう用語も、最近の教科書に載っています?*8



 (2)【「規律力」という用語を用いる学説だけが、「手続的公定力観」による】というように読める表現をする点

 (3)【この学説が、今日の公定力論の通説といってよい】とする点

  以下、便宜上2つまとめて書きます。
  (a)もともと、Aさんが最初のコメントで、最初のお二方の説明とは「別の説明」をするということで、「規律力」を持ち出し、さらに「規律力 ⇒ 取消訴訟 ⇒ 公定力」という図式を紹介された上で、このような見方が「手続的公定力観」であって、「今日の公定力論の通説といってよい」、というふうに説明されたからです(注:実際の文章そのままを引用したわけではありません。例えば、「このような見方」とは言っていません。)。

   この段階で2つの疑問が浮かびました。すなわち、

 ※「手続的公定力観」とは、「規律力を持ち出す立場」(以下、「規律力説」と呼ぶ)だけなのか、「それ以外も含む」のか?

 ※「今日の公定力論の通説といってよい」のは、「規律力説」のみを指すのか、「それ以外も含む」のか?

    この2つの疑問が、疑問点(2)(3)のそれぞれに対応するわけです。
  (b)そこで、聞き方が悪かったかもしれませんが、「今日の公定力論の通説といってよい、とする根拠は何か?」とぼかして質問しました。

    その回答(2番目であり、最後のコメント)の中に、「実体法的公定力説」という言葉だったか、それとの対比で使われていました…。

    そして、厳密には後述の(5)の文脈でですが、予想通り、塩野教科書が指定された…。

  (c)しかし、この回答だけであれば、当初から予想していた「規律力説」=塩野説のほかに明らかになったのは、「手続的公定力観」とは「実体法的公定力説」と対比される「手続法的公定力説」を指す、ことくらいなのではないでしょうか…。

    最初のお二方の説明の仕方が「手続的公定力観ではない」のかどうか、すらはっきりしないわけです…(^^;。*9

  (d)そして、その後、再度の私の質問に対する回答は無かったわけです…。(´・ω・`)
    私の疑問が誤解なのであれば、それを指摘していただくだけでもよかったのですが…。(´・ω・`)

  (d)さて、解消されていない私の疑問は、誤解であるとか、選択肢を選ぶ際に可能性の低いほうを選んだにすぎないかもしれませんが、

    まず、(2)に関して言うと、例えば、藤田説・小早川説などは、「手続法的公定力説」に分類できるはずですよね…*10

   そのへんをご存知だったのでしょうか?(=知らないことが「恥」ではない。知らないことは必要なときに調べればよい。「ググレカス」のいわば上位版であり、「腰だめ」がイクナイということ。)

  (e)次に、(3)に関して言うと、「手続法的公定力説」が「今日の通説」。

   はたして、そこから塩野説だけ(または規律力説)を括り出して、それだけを指して「今日の通説といってよい」って言っていいんですかね?

   そもそも、塩野氏ご自身が、ご自身の考え方について、「一般的な理解」ではないことを認めておられるではないか?(参照、同『行政法〈1〉行政法総論 第5版』(有斐閣、2009年)140ページ)

   はたして、Aさんは、そこの文章を読まれた時に、きちんと読めていたのでしょうか…?(=読めないことが「恥」ではない。読めていなかったことに気がつけば、あとで再度確認すればいい。)



   いや、べつに「私見」を持つことはいいんだけれど、塩野説の位置づけを「常識的な位置づけ」とは異なるような仕方で説明するのであれば、それ相応の根拠・典拠を示す必要があるのではないかなと…。

   しかも、公務員試験対策の問題集についての、しかも初歩的な質問に対する回答としてですからね…(つまり、そういう説明をしないと質問者を混乱させてしまうのではないのか?*11



 (4)【この学説によれば、「取消訴訟の対象と権力的行為の循環」を断ち切ることができる】とする点

   循環するという指摘*12によって「実体法的公定力説は死んだ」だったかな? そんな表現を用いられたと記憶してしております(記憶が不正確である可能性大)*13



   さて、「劣化コピー」同士でバトルをするのであれば、まずは、批判説を探して「コピペ」(紹介)すればよい…(なんて言うと怒られるかな?)。

 「行政行為に規律力があるかどうかの論点において行政関係において行政行為が位置づけられていることを根拠とするのは循環論法のように感ずる」
 引用元:阿部泰隆『行政法解釈学〈2〉実効的な行政救済の法システム創造の法理論』(有斐閣、2009年)68ページ




   本当は、この先に(=お互いに学説を提示した次の段階で)、「では、なぜ、このように学説に違いがあるのか?」っていう話になって、あーだこーだ言い合うということになる、と思ったのだけれど…。(´・ω・`)

   まあ、「劣化コピー」同士がネットで議論しなくても、この論点について興味のある人が、独自にいろいろ読んで考えればいいんですが…。(´・ω・`)



 以上、今回は、最初の2つの質問の1つである「今日の公定力論の通説といってよい」に関係する部分だけを書きました。

 次回は、もう1つの質問部分ですが、はっきり言って、私もよくわからずに質問したし、エントリーもよくわからず書くつもりです…。(´・ω・`)

*1:不勉強なので、よくわからないというのが実情であって、基本的な説明ができなかったり、文言を形式的にコピペしたとできたとしても、結局は理解していないことと同一視できることは自覚しています…。(´・ω・`)

*2:先日、SNSmixiをされていない方にmixiの仕組みから説明したのですが、やはり説明が難しいというか、長くなるので、その点は省略します。

*3:おそらく(3)の書き込みの後だったと思うけれど、私も「『それ相応』の説明しているよね」と思った記憶があります。「あれ?『それ相応』と判断できる能力があるのか?」と疑問に思われると思います…。だから、私の記述は、信用しないでくださいね♪

*4:同趣旨のことは、例えば、一番最近のものとして、昨年9月29日の日記

*5:要するに、行政の権力的行為は取消訴訟の対象となり、取消訴訟の対象となるものは権力的行為である、って循環するでしょってこと。塩野宏行政法〈2〉行政救済法[第四版]』(有斐閣、2005年)95ページ。

*6:なお、mixiのコミュや日記(友人の友人まで、拡大公開中)で書いたことと重複しますが、こちらでは、mixiを読めない方もおられるので、mixiのコミュや日記で書いた内容を、さらに少々具体的に書きます。

*7:なお、予備校の各種試験対策用のテキスト等は、未確認。短期間・海外在住・年末年始でなくとも、「各種試験」のものまで探すのは面倒ですから…。

*8:たまたま見つけたのですが、例外的だと思われる教科書として、村上武則編『基本行政法〔第三版〕』(有信堂高文社、2006年)179ページのコラム部分。

*9:勉強していれば、「それくらいことは、わかるだろ」と言われれば、そうなのですが…。

*10:例えば、「実体法的公定力説」・「純手続法的公定力説」・「手続法的公定力説」と3つに区分し、塩野説は「手続法的公定力説」、藤田説・小早川説は「純手続法的公定力説」にあたるというのならば、その当否はともかくとして、理解すること自体はできる。しかし、そういう区分を前提にしているのであれば、まずは、そういう説明なり、そういう区分を採用している文献を指摘すべきだと思います…。

*11:ちなみに、「〔公定力とか、規律力とか、権力というような〕何とか力という説明をする方がかえって混乱すると思う」という指摘があります。阿部泰隆『行政法解釈学〈1〉実質的法治国家を創造する変革の法理論』(有斐閣、2008年)77ページ)

*12:真っ先に思い出したのは、憲法学の長谷部氏のことばだが、一応、別の分野だし、話をややこしくするだけだと思ったので、口にはしなかったわけですねぇ…。

*13:しかし、勝手に「死亡宣告」されても、その定義・根拠が…。もしかしたら、実体的公定力説が復権するかもしれないのにねっ♪