最2小判平成21年10月30日をたんたんと…(その3・完)

 前回の日記で、今回も「判決文」読解講座(入門編?)だと予告しましたが、まあ、誰でも書けそうなことを…。

 所詮は、いつわりのうた○め、既存の議論をちょっとだけかじって、その一部をちょっとだけつぶやくだけでつぉ。(´・ω・`)




3.最高裁判決の紹介・その2

 では、さっそく、「3」の部分。今回は、主に憲法上の論点ですね♪

 要約してもいいけれど、まあ、ほぼ全文をwww。*1

 段落分け・補足はします。

 (1)確かに,表現の自由は,民主主義社会において特に重要な権利として尊重されなければならず,本件ビラのような政党の政治的意見等を記載したビラの配布は,表現の自由の行使ということができる。

 (2)しかしながら,憲法21条1項も,表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく,公共の福祉のため必要かつ合理的な制限を是認するものであって,たとえ思想を外部に発表するための手段であっても,その手段が他人の権利を不当に害するようなものは許されないというべきである(“最高裁昭和59年(あ)第206号同年12月18日第三小法廷判決・刑集38巻12号3026頁”参照)。*2

 (3)本件では,表現そのものを処罰することの憲法適合性が問われているのではなく,表現の手段すなわちビラの配布のために本件管理組合の承諾なく本件マンション内に立ち入ったことを処罰することの憲法適合性が問われているところ,本件で被告人が立ち入った場所は,本件マンションの住人らが私的生活を営む場所である住宅の共用部分であり,その所有者によって構成される本件管理組合がそのような場所として管理していたもので,一般に人が自由に出入りすることのできる場所ではない。

 (4)たとえ表現の自由の行使のためとはいっても,そこに本件管理組合の意思に反して立ち入ることは,本件管理組合の管理権を侵害するのみならず,そこで私的生活を営む者の私生活の平穏を侵害するものといわざるを得ない。

 (5)したがって,本件立入り行為をもって刑法130条前段の罪に問うことは,憲法21条1項に違反するものではない。このように解することができることは,当裁判所の判例“最高裁昭和41年(あ)第536号同43年12月18日大法廷判決・刑集22巻13号1549頁”“最高裁昭和42年(あ)第1626号同45年6月17日大法廷判決・刑集24巻6号280頁”)の趣旨に徴して明らかである(“最高裁平成17年(あ)第2652号同20年4月11日第二小法廷判決・刑集62巻5号1217頁”参照)。

 ラフに説明。

 まず、(1)(2)で、本件ビラの配布は表現の自由の行使にあたるけれど、公共の福祉のために必要かつ合理的な制限に服する、としています。

 で、括弧のなかで、「過去の最高裁判決を参照せよ」となっています。一応、リンクは付けておきました。

 前回紹介した部分では、参照されていなかったにねっ☆

 で、まあ、今回、「他人の権利」となっているけれど、参照先の判決は「他人の財産権,管理権」になっているという点を含め、【まずは】両判決の関係がいろいろと問題になるのでしょうが、ただのぢょしこーせーにはわからないので、当然のことながらパス1…。(´・ω・`)



 次に、(3)ですが、昨年の最高裁判決でも見られた「表現そのものを処罰する」って、表現をどうやって処罰するのか知りませんが、「表現そのもの」「表現の手段」を区別している点については、のちほど…。

 で、被告人が立ち行った共用部分は、一般に人が自由に出入することのできる場所ではない、としています*3

 それを受けて、(4)で、「たとえ表現の自由の行使のためとはいっても,そこに本件管理組合の意思に反して立ち入ることは,本件管理組合の管理権を侵害するのみならず,そこで私的生活を営む者の私生活の平穏を侵害するものといわざるを得ない。」としています。

 「管理権の侵害」と「私生活の平穏の侵害」の関係が問題となるのでしょうが、同様にパス2…。(´・ω・`)



 最後に、(5)で、表現の自由の行使と言えども、〔法益侵害が極めて軽微とは言えない程度の?〕管理権・私生活の平穏を侵害する、本件について処罰しても合憲だと。それは、過去の有名な最高裁判決(2つ)の趣旨からして明らかなんだぞ、と。

 そういうふうに解するのが、昨年の最高裁判決だったから、参照せよと…。

 ということは、今回の判決と、少なくとも過去の3つの判決の関係が問題となりますが、同様にパス3…。(´・ω・`)



 「第二」はパスします。m(_ _)m



4.本判決に関連したコメント

(a)「表現そのもの」「表現の手段」の区別

 阪口正二郎氏の判例評釈(昨年の最高裁判決)*4によると、昨年の最高裁判決は、「規制が内容中立的規制であることを明示した」としています(したがって、今年の最高裁判決もその可能性が高い、おそらく、同等程度以上のはず。)*5

 つまり、「表現の手段に対する規制=内容中立的規制」というわけですね。

 さて、「内容中立的規制」には、どのような審査基準をとるべきでしょうか?

 「まずは芦部説」ということで、便宜的に、宍戸常寿氏のまとめ*6を参考に…。

 (A)事前抑制(検閲)・明確性の場合
    文面審査
 (B)表現内容規制の場合
    「明白かつ現在の危険」または「やむにやまれぬ政府利益」の基準ないし「定義づけ衡量」
 (C)表現内容中立規制の場合
    「LRAの基準」
 (D)経済的自由の消極目的規制
    「厳格な合理性の基準
 (E)経済的自由の積極目的規制
    「明白の原則」

 少なくとも、「芦部説」については、このような基準が使われるのが原則的であるわけで、「(C)表現内容中立規制の場合」には、原則として「LRAの基準」が使わわれることになっていると思ったのですが…。(´・ω・`)

 で、もちろん、最高裁が「LRAの基準」を使っているのか、とかそういう話は、同様にパス4(?)…。(´・ω・`)



(b)新聞報道に関して

 ほかの方も言っておられたことなのですが、例えば、“今月3日の毎日新聞の社説”

 7階から順に3階まで配ったが住民に見とがめられ、通報を受けた警察に逮捕された。

 「逮捕」の意味にもよるんですが、法的に言えば、

 地裁判決によれば、警官の助力を得て通報した住民が逮捕したことになっている。

 また、高裁判決によっても、その住民が発見した時点で現行犯逮捕の要件を充たし、警官が駆けつけた時点で、住民・警官の実質的に支配下に入り現行犯逮捕となっているはず…。

 「警察に逮捕された」でいいのかな?(´・ω・`)



 あとは…、報道において、裁判所に対する無理な要望はちょっとなと思ったり…。このへんを書かないと、報道内容の「行間」がわからないだろうけれど、面倒なので、パス5(?)…。(´・ω・`)



(c)最後に

 以上、自分の感情は出さないようにして、初歩的なこと(?)を書いてみました。

 【今後も、可能な限り、ドアポストまで投函するぞ!】という方もおられるかもしれませんが、私個人としては、【可能な限り集合ポストまでにしたほうがいいですよ。それでも一定の条件下では逮捕される可能性がありますよ。】と一応ここに書いておきます。

 それでも、果敢にドアポスト・集合ポストまで投函しようとされる方がおられるのであれば、今後の判例構築・理論構築のための「人柱」となるお覚悟で…。(´・ω・`)

*1:だって、判例解説の「判旨」だって…。

*2:PDF文書では、「3206頁」となっていたが、「3026頁」が正しいので、修正しました。この点については、判決日当日に“arret:住居侵入被告事件最高裁判決: Matimulog”に指摘があります。m(_ _)m

*3:そういえば、私より刑法を知っているはずお姉さま、ほとんど知らないはずお姉さまに、それぞれの機会に、この件について話を振ってみました。ご両人とも、最初は、「見知らぬ他人のマンションに入るなんてありえないわ〜。」なんておっしゃっていました。が、私が「例えばですね。○○をしようとして屋上にあがるとですね、一連の判決だと…。」と話すと、黙ってしまわれました…。もしかすると、あんなことやこんなことをされているのかもしれません…(何を?。

*4:なお、憲法学説の通常の見解は、この評釈に賛同するであろうとされている。戸松秀典「憲法訴訟の理論」公法研究71号(有斐閣、2009年)59ページ。

*5:阪口正二郎・法学教室336号(2008年9月)12ページ。なお、橋本基弘氏は、「『表現内容規制・内容中立規制二分論』」の判断枠組みとして採用したものと読む事は難しい」としています。『平成20年度重要判例解説 (ジュリスト臨時増刊)』(有斐閣、2009年4月)21ページ〔橋本執筆〕。

*6:宍戸常寿「二重の基準または審査密度」法学セミナー645号(2008年9月)79ページ、該当箇所は、芦部信喜高橋和之補訂〕『憲法 第四版〔第4版〕』(岩波書店、2007年)101頁以下、181頁以下、212頁以下、だそうです。