「法律の一般性」は必要か?・その2(学説紹介)
前回のエントリーから10日以上間隔があいてしまいました。m(_ _)m
前回のエントリー執筆後すぐに準備し初めて執筆を開始し、早いうちにうpするつもりだったのですが、別件で時間をとられてしまったので…(^^;。
さて、今日のエントリーでは(でも?)、いくつかの学説を「表層的・図式的・並列的に」説明し、「結論部分」に着目した上で、それに対して疑問を述べるだけです。
なお、ある学説の「結論」とは異なるからといってあきらめてはいけません。「理由づけ」の部分をそのまま活用したり、組み換えを行なえば、自分に好ましい結論が出てくるかもしれませんしね♪
だから、「しが研の疑問に答えられそうもないから、あの学説はダメダメだ」とも思ってほしくはありません。
いろいろ研究されている「プロ」がそれなりの根拠があって言っていることだろうし、かりに、素人であったとしても「人それぞれの考えは尊重でいきまっしょい!!」*1ですからねっ(^_-)-☆
前置き、長っ!
さて、前回申しましたが、今回のシリーズのテーマは、こちら。
【事故の多い食品を規制しないで、こんにゃくゼリーだけを規制するのは、「法律の一般性」に反するのか?】
で、話を単純化するために、「違憲」=「憲法41条後段違反」ということに限定します。
つまり、別の条文に違反するかどうかには触れません(41条後段違反になりそうだけれど、それは別の条文違反と構成することが可能であるならば「そっちで話をしろよ!」という視点で見ていこうかと思います。)。
また、41条後段の「立法」に含まなくても、「41条前段の『国権の最高機関』を根拠に制定可能かどうか?」ということも論点になるでしょうが、それも検討しません。
以上のような、さまざまな限定をつけることで、各論者の「思想」「体系性」などを無視することになるかもしれませんけれどね…。(´・ω・`)
まあ、大石和彦「『個別法律の問題』の問題性」白鴎法学27号(2006年)
http://ci.nii.ac.jp/vol_issue/nels/AN10443264/ISS0000411975_jp.html
という論文があるので(とくに172ページ参照。)、ただのぢょしこーせーが、素朴な疑問をブログに書いても許されるでしょう…*2。(´・ω・`)
だって〜、ただのぢょしこーせーには、B准教授(憲法担当)のような質問相手はいなしぃ〜、「善い教科書の文字面を読んで」感じた素朴な疑問を書くだけですから〜(はーと)*3。
0.用語法を統一
やはり、このことを説明しておかないとピンと来ないかもしれませんね…(^^;。
「立法」を論じる際に使われる、「一般的・抽象的」「個別的・具体的」というのは、
人に着目して、対象者を特定しない場合(不特定多数の場合)を「一般的」、特定する場合を「個別的」。
事案に着目して、事案を特定しない場合を「抽象的」、特定する場合を「具体的」というそうです。
後述する樋口説のように人・事案をあまり区別しない人もいますが、他の学説との関係で、一応区別した形にしておきます。
そうすると、「一般的かつ抽象的」「一般的かつ具体的」「個別的かつ抽象的」「個別的かつ具体的」という2×2のマトリックス(AA略)があるわけですね…(^^;。
で、こんにゃくゼリー規制は、このマトリックスのどこに該当するのか?該当としたとして、「立法」に含まれるのか?、そもそも「立法」とは何か?っていう問題意識につながるわけですね。図式的に言えば…。
1.3つの学説の紹介とそれらに対する疑問点
A.まずは芦部信喜説
芦部教科書では簡潔に書かれている(芦部説かどうかもわからない)ので、『新版 演習憲法 (法学教室選書)』を飛べ超えて、芦部信喜「現代における立法」『憲法と議会政 (東大社会科学研究叢書 34)』(有斐閣、1971年)231ページ以下(初出:1965年)の255−263ページを用います。
で、大石和彦「『個別法律の問題』の問題性」白鴎法学27号(2006年)168−169頁を真似た整理をば。
(1)法律の「一般性の原則」は貫かれなければならない。
(2)だが、「20世紀になっていわゆる国家が自由国家から社会国家に変化してくるに伴って、個別具体的事件についても立法の形式で法の定立がなされる例が起こるようになってきた」。
(3)もっとも、次の2つの要件を同時に充たす場合、当該法律が個別的かつ具体的であるからといっても、そのことだけでは直ちに違憲となるものではない。
(a)「権力分立原理の核心領域が侵害され、議会・政府の憲法上の関係が決定的に破壊されるような場合」ではなく、かつ、
(b)「社会国家において……具体的事実の際に応じる実質的・合理的差別」であると認められる場合
↑ここから、すぐに明らかになることについてコメントを。
まず、芦部説に立つ場合、こんにゃくゼリー規制が、かりに「個別的かつ具体的な法律」によるものだとしても、それを理由に「違憲である」とは必ずしもいえない、ということです。
つまり、芦部氏は、「一律的に違憲だ」とは言っておられないわけで、例外的・条件つきで、「個別的かつ具体的な法律」を許容しているわけです。
そうすると、(a)(b)の点で、「権力分立原理の核心領域……破壊されるような場合だ」とか、「実質的・合理的差別であるとは認められない」、と認定しないと、「違憲である」とはいえないわけですね、論理的には…。
ところで、特に、(a)の「権力分立原理の核心領域……破壊されるような場合」って何なのよ?(´・ω・`)*4
(b)についても、憲法14条に還元できる問題なのではないのだろうかと、素朴に思ってしまうわけです…。
ちなみに、例えば、小山剛『「憲法上の権利」の作法』(尚学社、2009年)45ページによると、〔ドイツでは?〕「今日では、……立法者が一般性・抽象性のない規範を定立することの禁止は含意されていないとの理解が確立している」、「恣意性の有無は法の下の平等の問題として検討すれば足り、〔個別的かつ具体的な法律?〕をカテゴリカルに禁止する必要はないとの理解が定着している」と指摘されています…。
さて、「例外的・条件つき」と限定せずに、個別的かつ具体的な法律を認める教科書(学説)に依拠するのであれば、なおのこと、それに依拠しながら「こんにゃくゼリー規制は個別的・具体的な法律ゆえに、違憲である」とは言いにくいわけですね…。
また、かりに、こんにゃくゼリー規制が「一般的または抽象的な法規範」によるものであるとしても、「一般的・抽象的な法規範」自体を否定する学説はないでしょうから…。
B.樋口陽一説
樋口陽一『憲法1(現代法律学全集 2)』(青林書院、1998年)207−217ページを自分でまとめようか…(ほとんど引用だけどね。括弧部分は引用、括弧は二重括弧に改めた。)。
(4)概要
〔ドイツの本質性理論・基本法19条1項1文を紹介した上で〕個別的・具体的な法律に対して「寛大」な立場をとる芦部説をはじめとする学説に「対置」する形で、次のような見解を主張する。
すなわち、「『立法の専制』への防壁としての『法律の一般性』の現代的意味を重視する見地」である。
(5)理由
「憲法上の権利のねらいうち的『侵害』に対して『法律の一般性』が果たすべき役割を果たしてよい状況ではないというだけではなく、社会国家的傾向そのものに附随する現象として、政治過程が『給付』による票田の培養を中心にうごくなかで、個別的法律への誘惑がつよまっていることも、無視できない。」
(6)結論
「これらのことを重視するならば、『一般的規範は法律でなければならない』だけではなく、『法律は一般的規範でなければならならない』ことまで主張されるべきであろう。」
ここでも簡単に言えそうなことを。
【(1)法律の「一般性の原則」は貫かれなければならない。】という点では芦部説と共通(両者が直接参照している人は異なるけれど…。)
あとは、単純に言えば、どこまで「法律の一般性」を強調するかということになる…。
で、単純に言うと、侵害の場面についても給付の場面についても、「法律は一般的規範でなければならない」ということを立法者に義務づける、ってことですね、結論としては。
ここだけ見ていると、「こんにゃくゼリー規制は、一般的な法律ではないゆえに、違憲である」と言いやすそうな立場である…。
ところが、次回説明するつもりだけれど、「いささか特殊の文脈」としながら紹介する「学校法人紛争の調停等に関する法律」(昭和37年法律70号)を「一般的な形式を採用」とだけ説明している…。
そうすると、違憲性を回避するためには、「一般的な形式さえ整えておけば、OK?」という素朴な疑問もわいてこよう…。
さらに言うと、「憲法上の権利のねらいうち的『侵害』」って何?(´・ω・`)
C.阪本昌成説
文献紹介も兼ねて、初宿正典「法律の一般性と個別的法律の問題*5」法学論叢146巻5=6号(2000年)26−44ページを参考にしたということにしておきますが、一応、自分でまとめてみます。
前回、阪本昌成『憲法〈1〉国制クラシック(第二版)』を挙げましたが、説明するのに都合が悪いので、同『憲法理論〈1〉(補訂第3版)』(成文堂、2000年)を使います*6。ごめんねごめんね。同書の特に[71]〜[75]及び[296]〜[308]をまとめてみますた。
↓こんな拙い要約で阪本説を説明したことになるのでしょうか…。(´・ω・`)
(7)「『法の支配』とは、統治機関(立法権を含む)が強制力を用いる場合には、公知の、事前に予測可能で(確実性・公開性をもち)、平等に適用される、一般的、抽象的立法を要請する『基本法』(fundamental law)の下での統治をいう。」
(8)立法権も「法の支配」に服するから、このような「一般性・抽象性・公然性・平等性」といった形式が立法の不可欠の属性であり、そのような形式は、自分が少数者に置かれるかもしれない事態(普遍化可能性原理)を考慮して出てくるものである。
(9)よって、個別立法が許されないのは、「<<それは、性質上、行政行為であって立法ではない>>という点ではなく、<<そのような法制定は、法の支配に反する>>」からである。
(10)「議会または立法に過剰な期待をよせてはならない」。
この立場も、【B.樋口陽一説】と同様、「こんにゃくゼリー規制は、一般的な法律ではないゆえに、違憲である」と言いやすそうな立場ではある…。
さて、「立法の不可欠の属性」と強調されている「形式」とは、「適用される相手方(受範者)が事前に特定可能でないこと、特定の集団または個人を益する(害する)目的を有しないこと」なのですが、「こんにゃくゼリー」だけの規制は「適用される相手方(受範者)が事前に特定可能だ」とか「特定の集団または個人を益する(害する)目的だ」という理由で「立法」にはあたらないと言えるのだろうか?
これを考えるにあたって「ヒント」になるのが、これまた「学校法人紛争の調停等に関する法律」(昭和37年法律70号)。
この法律が「一般的形式がとられ」た(または「組織法と理解することもできる」)と説明するところからすると、結局のところ「一般的な形式さえ整えておけば、OK?」という素朴な疑問もわいてこよう…。
現に、個別立法を許さないとする例が、「誰それの△△の自由についての法律」ですからね…。次々回(?)で述べるような【名指しの法律】であり、これを避けるように「名指ししない法律であるとか、一般的な形式さえ整えておけばOK」のように読めてしまう…。
阪本説からすると、一般的形式がとられているように見えるけれど、「法の支配」に反する(「形式」がない)ような事例はないんでしょうかね…。(´・ω・`)
というわけで、次回は、「学校法人紛争の調停等に関する法律」(昭和37年法律70号)のお話をさせていただきます。m(_ _)m
*1:まあだからと言って、「その学者の意見はおかしい」と私に言われても困るし、「しが研の考えはおかしい」「しが研は勉強不足だ」と思われても、黙って生暖かく見ているのが「大人」ってもんでしょう…。「アドバイス」は当然歓迎ですけれどねっ♪
*2:繰り返し言うようですが、私のエントリーを読むよりは、前回紹介した文献とか、上記の大石和彦論文とか、より入門的には、宍戸常寿「権力分立と法の支配」法学セミナー658号(2009年10月)50−54頁とかを読まれたほうが有益かと…(^^;。
*3:参照、長谷部恭男「教科書の読み方」法学教室348号(2009年9月)24ページ。ちなみに、同頁のB准教授のオチは「自分で考えなさいね。」です。(´・ω・`)
*4:この点を説明した邦語文献があるのかどうか…。たぶん外国語文献を読まないといけないわけですね…。(´・ω・`)
*5:モトコさんに捕捉されたくないので、とりあえず副題省略w。ヘタレで、ごめんなさい。
*6:さらに、阪本昌成「発題1 法律の世界における公私と公共性」長谷部恭男・金泰昌編『公共哲学〈12〉法律から考える公共性』(東京大学出版会、2004年)1ページ以下における「討論」部分とか読むと理解が深まるかも…。今回は省略するけれど、この本全体における某氏による某氏への攻撃は見もの。