国家行政組織編成権の所在に関して・その2

 前回の日記の続きです。

 駄文が、意外と早く書けたので、投げます。m(_ _)m




 いつも言うべきなんだけれど、一言。

 このエントリーも、当該分野について表面的にちょっとかじっただけであって、その程度の表面的な知識を前提に、感想・疑問点を述べるにすぎません。

 よって、もっと勉強すれば感想が変わったり疑問も解消することなのかもしれないし、ただの【偏見・誤解】にすぎないかもしれません。

 興味のある方には原典にあたることをお勧めします*1し、私の誤解等について気がついたことがありましたら、やさしい口調でお知らせいただければ幸いです。m(_ _)m



3.従来の学説の状況(の続き)(← 前の日記では、「2.」にしていました…orz。)

 村西論文を紹介する前提として、宇賀・教科書で「(5)民主的統制説」に分類される本質性理論(厳密には、大橋洋一説)を説明*2

 私の日記では、たとえば2006年1月8日の日記で紹介しているけれど、再度、大橋洋一行政法〈1〉現代行政過程論*3有斐閣、2009年5月)の第2章2(6)・第9章3をつかって、「結論部分」を中心に、まとめておくテスト。

 (あ)本質性理論は、「本質的な決定は議会自らが下すべきであり、行政に委ねてはならない」とする1970年以降確立したドイツにおける判例理論である。
 (い)「従来の法律の留保原則は作用法中心主義であり、行政組織の法定化問題には無関心であった。」
 (う)これに対して、「本質性理論は組織法定化問題にも留保原則の射程を広げた」。すなわち、「行政組織の基本構造について議会が決定すべきであるという考え方も…〔本質性理論〕に含めて理解される(制度的留保理論)」。
 (え)そうすると、次のような見解は、本質性理論・制度的留保理論から根拠づけられる、と。
   すなわち、「憲法66条1項から考えて、内閣組織の基本構造及び内閣に属する大臣が国家行政組織の長を兼ねるという国務大臣・行政長官同一制のほか、例えば府・省の設置・廃止のような、組織の基本構造、内部部局の基本的構成要素は法律事項であるという見解」を根拠づけられる。

 (え)で注に掲載されている見解は、宇賀・教科書にいう「(5)民主的統制説」に位置づけられる見解であるが、前回述べたように、ここにいう「法律事項」が、法律による委任も許さない「義務的法律事項」か言えるかどうかというと…。(´・ω・`)

 さて、大橋説の紹介は、さしあたり、このへんにしておいて(エッ)、次の発言も、村西論文を紹介する前提として紹介しておこう…。

 行政組織の規律が法律事項かについては、日本では省の設立、所掌事務については法律を要するというのは揺るがぬ通説であり、実務もそうなっています。ただし、この通説は比較法的にいって英米仏独すべて省組織を義務的法律事項にしていない点できわめて対照的です。

 引用元:大橋洋一=毛利透「行政立法」宇賀克也・大橋洋一・高橋滋編『対話で学ぶ行政法―行政法と隣接法分野との対話』(有斐閣、2003年4月、初出:2001年8月)42ページ(毛利発言)

 (以前からこのような指摘があるんだけれど、それはさておき)この発言を読んだら、脊髄反射的に、(以前紹介した徴兵制の合憲性*4についてと同様に)

 「日本の実務・通説の法定化要請は、極端すぎるんヂャマイカ!!」とか
 「日本も、英米仏独と同様(?)、府・省の設置・廃止のような組織の基本構造を法律事項にしなくてもいいヂャマイカ!!」

 と思ってしまうよね…。┐(  ̄ー ̄)┌



 以上のような「前振り」をしておくと、次に村西論文を紹介する価値があるだろうし、他の論者との違いが理解できるのではないかと…。(*^。^*)



4.村西論文の紹介

 というわけで、本題である村西良太「憲法学からみた行政組織法の位置づけ : 協働執政理論の一断面」法政研究(九州大学)75巻2号(2008年)81-158ページを紹介・検討するわけであるが、80ページ弱の「研究論文」を読んでいただかなくても理解していただくための要約は…。(´・ω・`)

 上記に説明した学説と比較できるよう、私なりに(私の興味に従って)要点を示すと、

 (a)「執政権」を有するのは、「内閣」のみではない。「国会」も、例えば、「法律の制定」を通じて「執政」作用に参画しうる地位にある。
 (b)「執政権」としての組織編制権を考える上で、議会が「法律」によって規律しなければならない事項(義務的法律事項)と規律できる事項(任意的法律事項)の区別は有用である。
 (c)ドイツの学説を分析して、〔制度的留保理論〕と〔本質性理論〕を区別する。
  (c-1)〔制度的留保理論〕を分析すると、「基本法や各州憲法に明示的に刻み込まれた組織事項法定化要請の、いわば概括概念にすぎず、明文規定を離れた『一般的』要請として位置づけられるには至っていない」。(97ページ)
  (c-2)〔本質性理論〕を分析すると、「法律の留保の拡張」の領域確定において、「『基本権関連性」の要素がなお強固に維持されてきたように思われ……、基本権との関連性を認めがたい規律について、たとえばその政治的重要性だけを理由に同様の留保を語ることは困難なまま」であり、「現段階で何かいえることがあるとすれば、それは、政治的に重要な組織編制すべてに及ぶ法律の留保を本質性理論から導き出すことは必ずしも容易ではない」。(107ページ)
 (d)ドイツの学説は、議会が義務的法律事項を超えて広く法律制定権を有する(「介入権」)ことを自明視してきた。この視点から組織編制権と法律との関係を洗い直す(115ページ)と、ドイツにおいては、次のような理解が有力である。
  すなわち、「省の編成については、その一時的な決定権を執政府(首相)に認めたうえで、これに対する立法者の関与権を確保しておく」〔=任意的法律事項〕という考え方である(131−132ページ)。
 (e)日本とドイツの学説を比較した場合、「ドイツの議論が組織規律をあえて任意的法律事項にとどめ、もって行政組織の機動性とこれに対する民主的統制とを調和的に追求しようとしてきたのに対して、わが国の憲法学説には、この『あえて任意的法律事項にとどめる』という発想そのものが希薄であった……。……わが国においても、まずは組織規律が「任意的法律事項」であることを確認し、そのうえで「義務的法律事項」の確定に着手する、というアプローチのほうが望ましいのではないだろうか」として、試論を提示する(146ページ)。
 (f)その結論としては以下の通り。
  日本国憲法41条〔前段〕が、「国会に対して『最高機関』という破格の地位を与えているところに、行政組織の基本構造を義務的法律事項に迎え入れる理論的基盤が見出されなければならない」(156ページ)として「行政組織の基本的構造(府、省、庁、委員会の設置および事務分掌の定め)および内部部局の基本的構成単位(官房、局、部、課、室)は義務的法律事項」とする「行政法学において現在『最も有力』な学説」*5(150ページ)は「相応の説得力をそなえており、現行法の説明としてもすぐれている」とするが、「あえて踏み込んだ言い方をするならば、義務的法律事項の範囲を現行法より狭める――つまり行政組織の法定化要請をさらに緩和する――解釈も、ありえなくはない」し、「民主的統制の実現のみならず、諸政策の変更に即応しうる弾力性もまた要請されることを考えると、いま述べた解釈はなおさら現実味を帯びる……」旨指摘する(157−158ページ)。

 上に大橋説の要点を示したので、大橋説と村に施設村西説の異同がわかるかと思うけれど、若干説明。

 大橋説は、制度的留保説が本質性理論の中に含まれるとしつつ、本質性理論・制度的留保説から「組織の基本構造、内部部局の基本的構成要素は法律事項であるという見解」を正当化するっぽい。

 それに対して、村西説は、まず、本質性理論・制度的留保説を区別しつつ、それらから、組織編制権に関して明文なくして義務的法律事項を導くことはせずに、「介入権」という視点から任意的法律事項を原則視する。そして、日本においては、憲法41条前段の「最高機関」に「義務的法律事項」の理論的基盤を見出して、行政法学で最も有力な説である「(5)民主的統制説」に賛同しつつも「義務的法律事項」の縮減を示唆するわけですね…。

 というわけで、村西説についても、「ドイツと同様、府・省の設置・廃止のような組織の基本構造を義務的法律事項にしなくてもいいヂャマイカ!!」とまではいいきっていないわけでつね…。村西説【そのまんま】では、そこまでいえないわけでつね…。ネットバトルの準備をしようと思っているわけではないけれど…。(´・ω・`)




 以上、簡単ではありますが、村西説の紹介とさせていただきます。

 次回、村西説に対する感想・妄想を書きたいと思いまつ…。(← 次回執筆のための美貌備忘録)

*1:というか、こんな駄文を読む必要はない。

*2:ただし、大橋説は、「(3)広義の法規概念説」に分類される佐藤幸治説(「行政各部の組織も、41条の立法の内実をなす法規概念に含まれるものとして法律によってさだめなけれなならない」(同『憲法 (現代法律学講座 5)〔第三版〕』(青林書院、1995年)144ページ)を参照しているから、41条〔後段〕の話だと思うんだけれどなあ…。

*3:タイトルに(1)が入ったということは、続刊があるってことですよね…。って、「はじめに」を「まぢめに」読んでいないだけぢゃまいか!!

*4:アメリカでは合憲判決が出ているし、世界各国で現在・過去において徴兵制を採用しているのに、政府見解・通説ともに違憲説であることについては、例えば、今年1月15日の日記を参照。

*5:厳密には、宇賀・教科書が最も有力とする「(5)民主的統制説」そのままではなく、その中の有力説である。