輸血拒否事件

 似たり寄ったりのエントリーです。みくしに今日書いたことをこちらに…(^^;。




 憲法の教科書では、「エホバの証人」については、輸血拒否事件・剣道拒否事件の2つの最高裁判例が紹介されることが多い。



 かつて、ある先生が、その2つの判例を紹介したとき、授業が終わった後、

 ある学生さんが「私は、『エホバの証人』の信者なのですが、そんなに変な宗教なのですか?」と涙ながらに尋ねてきたと聞く・・・。

 その先生は、返答に困ったらしい…。



 上とは別の先生から聞いた話。

 「エホバの証人」の輸血拒否事件について説明したら、「カルト教団だから輸血拒否するんだ。」「救ってもらっておいて、何を文句言っているのか?」などという感想があったらしい。

 また、「正解は1つではないし、学説もたくさんあるから、テストの答案も自分の思ったことを書けばいいでしょ。」なんて独りよがりな答案があったと頭を抱えていた。



 法学部の授業では、判例を素材にすることで、日常の出来事を取り上げることがあるが、

(しかし自分には起こらない出来事かもしれないし、起こったとしても「自らの常識」に従えば別の結論をとるので)

「自らの常識」に従うと、「おかしい」と思うこともあろう。



 しかし、「試験の答案」としては、その先生の言ったこと、教科書に書いてあること、他の「学説」を、「猿真似」してそれを再現しないと、いい成績はつかないはず…。*1



 問題は、「試験の答案」ではない場合、

 とくに、ネットであったり、オフの井戸端会議などの場合、



 どこまで「試験の答案」に近づけるべきか?



 juge:バカをバカと呼んでしまう裁判官

 http://matimura.cocolog-nifty.com/matimulog/2009/04/juge-f953.html

 は、明らかに「色々事情がある場合は別として、盗み系は基本的に思慮が足りない」から、「バカ呼ばわりしていたらキリがない」わけだが、

 「思慮が足りない」わけではないであろう非法学系の方々にどこまで「自らの常識に従う」ことの【危うさ】を理解していただけるのか?



 ネットで主に活動している私も試行錯誤しているつもりなのですけれど…。

 「キリがない」ので、無償でそういうことをする必要性はないともいえるけれど…。



参考までに、

http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=02&hanreiNo=25350&hanreiKbn=01

から「裁判要旨」をコピペ。

 医師が、患者が宗教上の信念からいかなる場合にも輸血を受けることは拒否するとの固い意思を有し、輸血を伴わないで肝臓のしゅようを摘出する手術を受けることができるものと期待して入院したことを知っており、右手術の際に輸血を必要とする事態が生ずる可能性があることを認識したにもかかわらず、ほかに救命手段がない事態に至った場合には輸血するとの方針を採っていることを説明しないで右手術を施行し、患者に輸血をしたなど判示の事実関係の下においては、右医師は、患者が右手術を受けるか否かについて意思決定をする権利を奪われたことによって被った精神的苦痛を慰謝すべく不法行為に基づく損害賠償責任を負う。

 「右手術を受けるか否かについて意思決定をする権利」が憲法上の権利か?民法上の権利か?

 なんて小難しい話はさておき、

 この判決を批判するのか? 「意思決定をする権利」(いんふぉーむどこんせんと)の範囲を拡大するのかどうか?
 まあ、そういう「細かい」話も今日もしません(おい。



 また、上の判例とは、別事案ですが、

 痛いニュース(ノ∀`):「エホバの証人」信者の妊婦、輸血拒否して死亡…「見殺しにしてよかったのか」と病院を非難する声も
 http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/991819.html



 ここでも、脊髄反射的】に、

 病院を非難する者、「生命より宗教のほうが大事なのか?」「病院に来るな」「カルト」と信者の妊婦を非難する者が多いようですね。



 まあ、私の人権感覚というのも、「薄っぺら」なものだと思います。

 熱い鉄板の上に乗せられたら、子猿を下敷きにする母猿のように…。

 まあ、そんな極端な話で、「薄っぺらさ」を正当化するつもりはありません。*2
 たとえば、

 ブログ旗旗 » 再掲】「おいコラ!在日!」と言われた時(賛同者670人突破) - 旗旗

 http://b.hatena.ne.jp/entry/http://bund.jp/md/wordpress/?p=2039

 にあるような、部落差別問題に非常に熱心な、あるお坊様、

 つまり、

 「お坊様、あなたがあまりに熱心に差別反対の説法をしているので、きっとあの坊様も部落だと噂している人がいましたよ」

と言われて、怒ったような激しい口調で「誰がそんなことを言うとりますか!」と言ってしまうかもしれません…(^^;。




 もちろん、このお坊様よりも、私のほうが、酷いかもしれません…。(´・ω・`)

*1:現行の某国家試験が難しすぎるのではないか?、とかそういう話はパス。

*2:だって、戦前の反省・戦前の同盟国の悪行の反省から、「個人の尊厳」の重要性を簡単に語ったところで、「もはや戦前ではない」「戦前の同盟国と現在のわが帝國は違う」と簡単にあしらわれてしまう…。