意見の多様性と多数決・その5−3

 元日の日記で前振りしましたように、昨年9月1日以降に、mixiにて、「徴兵制の合憲性」と「防衛費GNP(GDP)1%枠問題」について、マイミクさん(当時)4名の方とコメントのやり取りをしたことを、「意見の多様性と多数決・その4−X」「意見の多様性と多数決・その5−X」として題して、こちらの1月14日の日記以降で、紹介させていただいております。

 今日は、「防衛費GNP(GDP)1%枠問題」に関する「私の立論」でも書きましょうかね…(^^;。





4.私の立論

 (1)問題提起の意図

 まずは、昨年9月1日にmixiで書いた「問題提起」的な部分をコピペ。長くなる全文引用を避けますので、全文を読むこととは印象が違うかもしれませんが…(^^;。

 例えば、「防衛費を今すぐGNP3%に引き上げろ」という主張があったとしましょう。
 こういう案件(学問的な9条問題も含む。)、勉強していないので、一般に通用する根拠を知らないわけですが、「国家予算の何をどうやって削るの?」という疑問が出てきます。
 そして、実は嫌いなのですが、インクリメンタリズムっぽい議論を持ち出したり、
 「今まで、1%枠というものがあり、その枠内で運用されてきたわけで、それなりに合理性があったはずなんだけれど、どうして、3%にしなければならないの?その根拠は何?(それを示せないと、あなたの負け。)」
 と言うのだと思います。

 「カチン」と来ますかね…(^^;。

 「誤解させてしまった」の原因のひとつは、「合理性」という言葉でしょうか…。

 「合理性がある」ではなく「それなりの合理性がある」と限定つきだったんですがね…(^^;。

 先の引用直後に次のように書きました。

 要するに、先ほど、1%枠に合理性があるとは言いましたが、それとは逆に、今の予算編成には合理性がなくて、政治的な妥協によるものだ。だから、日本は軍拡すべき(増額すべき)だともいえる。しかし、それとは逆に、軍縮すべき(減額すべき)だといえるのかもしれないということ。
 まあ、列強と横並び的に、増額するほうが、「ワカリヤスイ」のだけれど…。

 このように、「1%枠にそれなりの合理性がある」のではなく「政治的な妥協によるもの」かもしれない、とまで言っているのに、私が、1%枠の「合理性」の根拠を示さなければならなかったのだろうか?

 とはいうものの、私だって、「根拠」くらいは示したい。

 というか、「1%枠が撤廃されたはずなのに、ここ20年ほど、1%を超えたことがないのは何故なのか?」。超えない理由が知りたい…。

 その説明に成功すれば、枠自体「合理的」といってもいいかもしれない。現状分析がメインである政治学の政治過程論・行政学の官僚制論的にですが…。



 ところが、「1%枠が合理的である」などと言うと、「(規範的に、または金額的に)その枠自体が正しい。その枠を守るべきだ。」という主張と同視されてしまったのでしょう。コメントのやり取りが終わる(?)まで、ずーっと「1%枠の合理性の根拠を示していない。早く示せ。」と言われ続けたんですよね…。(´・ω・`)
 
 で、最初の引用部分からも明らかなように、当初から、「合理性」の根拠(?)として、「実は嫌いなのですが」と言いつつ(そして、あとでもコメントで何度も「大嫌いな」と書いていた。)、「インクリメンタリズムっぽい議論を持ち出した」わけですが、コメントのやり取りが終わる(?)まで、ずーっと「1%枠の合理性の根拠を示せ」と言われ続けたんですよね…。(´・ω・`)




 私の根拠は、一言で言えば、「インクリメンタリズム」。その一言だけで十知ってくださる方もいれば、そうでない方が実際にいらっしゃった…。

 私だって、行政学の教科書で紹介されているような「インクリメンタリズムに対する批判」は知っているんですよ。にもかかわらず、「(1%枠にとどまっている)理由になる」と言ったわけですよね…。
【ある思惑】から、「大嫌い」とまで明言した「インクリメンタリズム」をあえて持ち出したですが、その思惑に気づいてくださらなかったようです…。(´・ω・`)

 「大嫌いな理由を持ち出さないと自説を正当化できない」と思われてしまったのでしょうか…。(´・ω・`)




 また、2つ目の引用部分で、「合理性」と対の形で、「政治的な妥協」と書いております。これも「正」と「不正」との妥協という意味で「正しくない」という意味に思われがちですが、私としては、「枠が正しい」と言いたいのではなく、「政治諸勢力の均衡点」が1%枠であって、動かせない状態になっているのではないのかっていうこと。その説明に成功すれば本望だし、私の説明が参考になれば、批判する側も「対策を練れる」のではないのかという気持ちだったんですがねえ…(^^;。




 コメントされた方々の多く(正確には少なくとも4人中2人)は、「インクリメンタリズム」は「理由になり得ない」と考えられたようです。この点を、このブログの奇特な読者に誤解してもらうと困るので、もう少し説明しなければなりませんね。ここにいう「理由になり得ない」というのは、「『強力な批判』があるゆえに、説得力がない」ではないのです。極端に言うと、「見解の存在自体が否定される」のです。「防衛費GNP1%枠を説明する理論として、インクリメンタリズムがあります。その批判として…があります。」という説明もできないんですよ。

 まあ、(勉強不足だからかもしれませんが)そういう説明を目にしたことはないので、そういう説明を、たとえばレジュメで、たとえばwikipediaで「紹介する」必要はないかもしれないけれど、「私はその根拠に説得力がないと思う」、「自分の論敵に対して説得力を持たないだろう」という理由で、「理由になり得ない」とするのは、どんだけ〜(ちなみに、徴兵制違憲説の取り扱いについても同様だった。)。自分自身の構築する理論のためのパーツ(積み木)の存在自体を否定されるなんて…。積み上げたあとに、そのパーツを使うことやその使い方がおかしいと批判することは自由です。しかし、「どちらが説得的であるか」の判断は、読者もできるわけで、論争の相手だけに限らないわけで…。




 以上のような意味で、あとで述べる「私の立論」というのは、

 現状維持派の意見が正しい(説得的である)とか、軍備増強派の意見が説得的であるかどうかは、あまり関係ないのです。

 「2%で推移していれば私の説明は根拠になるのでは」と言っていたのだし…(そう言ったのにもかかわらず「軍備増強派の根拠にはならない」との回答がBさんからありました。つまり、私の立論は、同じ結論に達する余地があるのに、「仲間に加えてもらえない」わけです…。)。

 もっというと、軍備増強派の意見が説得的であればあるほど、私の説明が説得力があるというか、90年代以降1%未満であることの私の説明が生きてこないのか?

 そして、軍備増強派の「反省材料」にならないのか?

 例えば、医療費増額賛成派・公共事業費増額派・教育費増額派を説得するための、つまり今後の多数派形成のための手がかりにならないのか? そういう目的もあったんですけれどね…(=「敵に塩を送る」)。(´・ω・`)



 ただし、私の説明には弱点がある。過去はそう説明できても、将来的にあてはまらないかもしれない。

 「必要最小限度の戦力」という抽象的なものではなく、「1%枠」という相対的に具体的な枠だから、多くの人に超えたと認識されれば、超えていないと言い逃れしにくい…。

 しかも、現在の防衛費は、現在の「防衛大綱・中期防衛力整備計画」による歯止めがあるからだ、2010年度以降の新しい「防衛大綱・中期防衛力整備計画」では増額される、かもしれないのだから…。

 そういうことを指摘してもらえるかなあと期待していたんですが、空振り…。(´・ω・`)
 


 と、「問題提起の意図」とそれに対応した「結末」だけで、これだけの長文になってしまった…。(´・ω・`)ダブン