意見の多様性と多数決・その5−2

 戦後の国会は、消極的権限配分規定としての9条を破って、自衛隊法という組織法を制定するに至ったのであり、しかも、裁判所が憲法判断を回避している現状のもとで、自ずと…第三の側面〔しが研注:「政府が軍事予算を計上することが不可能になる、という意味での財政権の限界規定の側面」〕に過重な負担がかからざるを得なかったのが、戦後における軍事力統制の特性である。すなわち、…GNP1パーセント枠というそれ自体何の理論的根拠もない財政権の限界規定(…)により、かろうじて軍事力のコントロールをし、国家機構における権力バランスを維持してきたというのが、戦後の憲法史の現実ではないかと思われる。

 出典:石川健治「前衛への衝迫と正統からの離脱」憲法問題8号(1997年)116−117ページ





3.防衛費GNP1%枠とは?

 今回(だいたい昨年8月末〜9月半ば)、議論するためにちょっとは文献を読んだわけですが、非常に勉強になりました。

 勉強している過程で、昨年9月29日の日記で書きましたように、

 情報提供をすることができていたのならば、「民意」というものも、別の形になっていたかもしれない…。何年も前から、そういうことを考え続けております…。(´・ω・`)

 という想いがつのってきました。昨年9月29日の日記は、徴兵制に関するものであるけれども、きちんと書いていませんでしたか…。(´・ω・`)

 つまり、まず、徴兵制に関して言うと、仮に、「政府見解が徴兵制違憲説である」ということを知っていたとしても(この点すら知らない人も多いかもしれないが)、「抜け道」があることを知らない人が多いはず。知っていたら、別の議論ができたのではないのか?

 また、防衛費GNP1%枠についても、仮に、「防衛費GNP1%枠」という存在を知っていたとしても、現在では「撤廃」されていることを知らない人も多いだろうし、「撤廃」されているにもかかわらず「現状」を知らない人も多いだろうと…。そういうことを知っていたら、別の議論ができるのではないのかということです…。

 というわけで、若干詳しく書こうかなあと思います…。*1
 とはいっても、なるべく簡潔にし、また、改めて書くのは大変なので、昨年9月25日のmixi日記の使いまわしだったりするのですが、若干順序を入れ替えました…。



 (1)1976年(昭和51年)11月、「防衛力整備の実施に当たっては,当面,各年度の防衛関係経費は,国民総生産の100分の1に相当する額を超えないことをめどとしてこれを行うものとする」という方針が、国防会議・閣議において決定された(三木内閣) *2。これがいわゆる1%枠である(ということにしておく。)。

 (2)中曽根政権は、当初、1985年度(昭和60年度)当初予算案でのGNP1%枠突破をもくろんでいたわけだが、党内の反対により実現できなかった。その後、85年9月の「中期防衛力整備計画」の国防会議・閣議決定(12月末)で「GNP1%枠」を「撤廃」〔87年度予算に(1)の決定を適用しない〕*3、翌86年1月、それに代わって「中期防衛力整備計画」(85年9月、国防会議・閣議決定)の総額を新しい枠とすることを、決定した 。*4

 (3)「87年度の防衛費は、対1.004%にとどまったが(…)、「戦後政治の総決算」「タブーなき政治」を標榜する中曽根内閣の政治的意思表示として、この決定は重要な意義を有していた」*5という評価もできよう。
 (4)しかし、政治的意義は認めるとしても、私には3つの疑問点がある。

  第1に、(1)を見ると明らかであるが、定義上、超えないことを【めど】としている。「この表現では防衛費は明らかにGNP1%以下ということになる」のかどうかは議論の余地があるのかもしれない。

  つまり、「防衛当局と財務当局の間で『1%程度』とするか、『1%以下』とするかで意見が対立したが、『1%以下』を主張する財務当局が防衛当局を押し切った形で決着を見た」*6とのことであるが、これは、「超えない」という部分であって、【めど】という部分を説明していないのではないのか?*7
  第2に、(2)において、官房長官は、各年度の防衛関係経費を、「おおむね当該年度の国民総生産の1%程度となるものと予想」している(86年1月)*8が、「以下」が「程度」に代わったに過ぎないともいえるかもしれない。

  第3に、確かに、中曽根政権は、「1%を超えられる」ことを示した(87〜89年度、最高は88年度の1.013%)わけであるが、90年度以降、1%を超えていないし、減額すらされている。

  そもそも枠自体が【めど】だったことを考えると、最高1.013%であれば、「1%枠撤廃」までしなくてもよかったかもしれない。また、その後ここ20年ほど1%を突破していないことを考えると実は、今でも1%枠が存続しているといえるのではないのか?*9

  もちろん、「戦後政治の総決算」「タブーなき政治」を標榜する中曽根政権としては、「1%枠維持」をしたくなかったのだろうが、参考までに、2つほど国会答弁を引用。

(a)衆議院会議録情報 第108回国会 本会議 第4号 昭和62年2月2日
 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/108/0001/10802020001004a.html

内閣総理大臣中曽根康弘君)
 次に、一%の問題でございますが、政府は、従来から大綱水準の早期達成を図ることを基本方針として、五十一年十一月の閣議決定を尊重し、これを守るように努めたところでございます。六十二年度防衛関係予算の編成に当たりましても、以上のような考えに立ちまして、一面において圧縮に努めると同時に、一面においては中期防の着実な実施を図る、そのぎりぎりの努力をいたしました。そして一%をやむを得ずやや上回ったのでありますが、政府としては、五十一年十一月の閣議決定の節度ある防衛力の整備を行うという精神を引き続き尊重していく方針には変わりはございません。新たな歯どめを閣議決定した次第でありますし、これによって自衛隊に対する信頼が失われるとは思いません。

(b)参議院会議録情報 第165回国会 外交防衛委員会 第6号 平成18年11月30日
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/165/0059/16511300059006a.html

○藤末健三君
   (中略)  そして最後に、節度ある防衛力の整備ということでございまして、防衛力の整備の実施に当たっては、当面、各年度の防衛関係経費の総額が当該年度の国民総生産の百分の一に相当する額を超えないことをめどとしてこれを行うものとするということで、これは一般的には防衛費のGNP一%枠と言われております。
 そして、最後、次のにございますのが武器輸出三原則ということで、武器の輸出、また武器の製造に関係するものは輸出しませんというようなことが決まっていると。
 このような今まで防衛の枠組みが決まっていたわけでございますが、これは大臣に確認でございますけれど、このような防衛、安全保障の枠組み、これが今回のその防衛庁から防衛省への昇格、移行に当たって変わる懸念があるかどうかということについて、明確に否定していただければと思いますが、いかがでございましょうか。


国務大臣久間章生君)
 私は、これらはいずれも、これから先、防衛庁が省になっても守っていくべきものだと思います。
 ただ、この中で武器輸出三原則については、私自身若干異論がございます。 …

 (a)は、1%を突破したときの中曽根首相(当時)の答弁であるが、「やむを得ずやや上回った」「政府としては、五十一年十一月の閣議決定の節度ある防衛力の整備を行うという精神を引き続き尊重していく方針には変わりは」ない、など述べている。「節度ある防衛力の整備」って何なんでしょうね…。少なくとも、「1%枠撤廃したから、他の先進国並みに軍備を拡充します。」とは言っていないことは確かですよね…。
 (b)は、防衛省昇格のときの久間防衛庁長官(当時)の答弁であるが、「GNP1%枠を守っていくべきだ」ということを認めているにも読める。もちろん、防衛庁としてより重要な位置づけであるはずの「武器輸出三原則」について個人的な異論を述べているだけであって、それよりも低い位置付けである(撤廃されたはずの)「GNP1%枠」の否定、にまで気が回らなかったのかもしれないけれど…。

*1:「そこと比べてどうする」ということになるかもしれないけれど、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%B2%E8%A1%9B%E8%B2%BB1%25%E6%9E%A0

*2:昭和52年度防衛白書、「第2章 防衛計画の大綱」「4 基盤的防衛力の整備」>「(2) 防衛関係経費」http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1977/w1977_02.html。それ以前の議論については、例えば、http://www.eda-jp.com/books/usdp/3-30-5.html

*3:http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1987/w1987_9138.html

*4:http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1987/w1987_9139.html

*5:五百旗頭真編『戦後日本外交史』(有斐閣、1999年)201ページ〔村田晃嗣・執筆〕

*6:阪中友久「防衛予算決定過程の問題点」青山国際政経論集18号(1990年)62ページ

*7:GNP1%枠採用の閣議決定(三木内閣)に影響を与えた、当時の酒田道太防衛庁長官の私的諮問機関である「防衛を考える会」は、「防衛費として国民の支持を得られる限度は、GNPの1%以内が適当ではないだろうか。現在のように経済成長が鈍化しているときはもちろんのこと、順調なときでも1%を超えるとなると、国民の共感を得るのはむずかしい」と「1%以内」「1%を越えるとなると・・・」という表現を用いている。阪中・前掲論文62ページから、防衛を考える会『わが国の防衛を考える』(朝雲新聞社、1975年)36ページを孫引き。

*8:http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1987/w1987_9139.html

*9:防衛費の対GNP比のグラフは、片山さつき「平成17年度 新防衛大綱・新中期防と防衛関係予算について」ファイナンス471号(2005年2月)50ページ(参考6:防衛関係費の推移、PDF文書の11ページ目) および防衛省編『平成20年度版 防衛白書』資料18 防衛関係費(当初予算)の推移を参照。