意見の多様性と多数決・その4−1

 このシリーズ、2ヶ月以上間が開いてしまいましたね…(^^;。

 マイミクのnomadさんに、たとえば、

 俺はネタとしておもしろいと思うから書くんであって、正確さだとかを求めていないの。

 など(前後関係、直近のエントリーも含む。)と書かれると、「そんなに調べたりする必要はないし、正確さ・完璧さを求めずにハヨ書け」と言われている気もするので、書いてみましょう(笑)。



 今月1日に予告した「徴兵制」と「防衛費GNP1%」のうちの1つ、「徴兵制」について。

 今でも前者のほうが、「シンプル」に議論できそうな気がしているんですが、後者のほうが議論しやすいんですかねえ…。
 まあ、当初の予定どおり、前者の議論のご紹介…。




1.3つの見解

 「徴兵制」の「合憲性」の「結論」から見て、大きく3つに分けると、

(a)徴兵制合憲説・その1(導入賛成説)

(b)徴兵制合憲説・その2(導入反対説・その1)

(c)徴兵制違憲説(導入反対説・その2)

 となるでしょう。

 このように合憲性に関する結論を3つに分けることは、このシリーズで言うと“地方参政権の合憲性”“尊属殺の合憲性”でも行いました。
 (a)〜(c)の概要については、“Wikipedia:徴兵制度”の「徴兵制度の現状」や「徴兵制度の問題」を読めば、3つに分けられること自体は理解できるかと思います…(^^;。

 そして、(a)(b)と(c)は徴兵制が違憲か合憲かで見解が分かれ、(a)と(b)(c)は徴兵制採用に(現時点で)賛成するか反対するかで見解が分かれる、わけです。まさに「呉越同舟」なわけですね。あとは、同じ舟に乗っているときに「共闘」するのかどうか(「同じ舟ですでに争う」のか)…。



2.想定する議論の相手方

 さて、上記Wikipediaの該当箇所を読んでいただければ、「概要」はつかめるでしょうが、私なりに一応書いておくと、

(a)徴兵制合憲説・その1(導入賛成説)
  徴兵制採用は合憲であり、導入すべきである。

  「いまどきの若い者はたるんでいるから、徴兵制を採用すべきだ(強制的に自衛隊にでも入隊させるべきだ)」という見解も含む。

(b)徴兵制合憲説・その2(導入反対説・その1)
  徴兵制採用は合憲であるが、現代戦には不利であり、(現時点での)採用には反対である。

(c)徴兵制違憲説(導入反対説・その2)
  徴兵制採用は違憲であり、(現時点での)採用には反対である。

 今回(昨年9月1日から)ミクシで議論してくださった方(4名、当時全員がマイミクさん。)は、と言うよりも、コメントくださる方は多かれ少なかれ(b)の立場の方々だろうと予想しました。

 今回、結果的に議論に加わってくださらなかった方も含め、コメントを下さるだろうと私が予想した方々は、軍事情報に興味がある方々であり、たとえば「戦争反対!」というコミュなどにおいて、軍備反対・自衛隊反対などと書き込む人たちを「批判」しつつ、「いまどきの若い者はたるんでいるから、徴兵制を採用すべきだ(強制的に自衛隊にでも入隊させるべきだ)」と言っている人をも批判する(批判する考え方に共感する)方々だということです。

 このようなコミュをたまに見ては、マイミクさんの書き込みに1月1日の日記の最後で紹介したような要素があるのではないかと思っていた次第です…(^^;。

 それとは異なる立場からの立論ということで、(c)の立場をとろうと、準備を始めた。

 そして、1月1日の日記の最後で紹介したような文献、すなわち、

 ◎大江志乃夫「徴兵制違憲閣議決定憲法」『法学セミナー増刊/日本の防衛と憲法』(日本評論社、1981年)271−276ページ

 ◎佐藤功「徴兵制度と憲法」『憲法問題を考える―視点と論点』(日本評論社、1981年)

 ◎長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす (ちくま新書)』(筑摩書房、2004年)

 などを読んだというわけです。これらを読んでいただければ、このブログの読者の方は、私の「意見の多様性と多数決・その5−1」まで読んでいただかなくてもいいかもしれない…。ミクシの中でどういう議論が展開されたかに興味がなければですが…(^^;。



3.私の最初の立論

 何から書けばいいのか、難しいなあ…(^^;。

 私の最初の立論にして、(徴兵制の議論は「シンプル」だと思っていたので)「すでに最初から明示していたつもりだった部分」を引用。

 まず、議論が始まる数日前、8月28日の日記から抜粋。

 タイトル:「徴兵制と日本国憲法

 Cさんの日記「現役自衛官と徴兵制」(ミクシのURL省略)
 を拝見して、思い出した文章の話。

 今回も、Cさんたちと、徴兵制の是非を議論したいわけではなく、あくまで、「既存の議論の紹介」、……のために書く話です。

 …長谷部恭男教授の著書『憲法と平和を問いなおす』(ちくま新書、2004年)からの「引用」。

> 海外でのPKO活動が軍全体の活動のなかで占める割合が増え、装備内容や要求される技術が高度化するにつれて、徴兵制に基づく防衛力の整備という政策は、今後ますます非現実的な選択となっていくであろう。しかし、徴兵制をとるべきではない理由は、より根底にある。(159ページ)

> この種の国家〔しが研注:リベラルな立憲主義にもとづく国家〕が外敵と戦って死ぬよう、市民を強制することは困難であろう。……立憲主義国家にとって最大限可能な軍備の整備は、せいぜい傭兵と志願兵に頼ることになる。(158ページ)

 つまり、徴兵制をとるべきではない「最大の理由」は、長谷部流の「リベラリズム」なわけです。

 読んだ上で、どう考えるのかは自由だし、それとは向き合わないのも自由。
 そうやって議論することも自由。
 私の「テリトリー」に介入がない限りは、それに応対することもないだろうし、
 介入があったとしても、応対しないかもしれない。
 この議論は、神々の争いっぽいところがあり、しかも、対応するほど勉強もしてませんし…。

 先に、8月28日と書きましたが、そう、議論の始まる9月1日より前に、↑のことを書いていました。

 コメントあるだろうなと思ったのですが、nomadさん以外のコメントはなかったわけです…(^^;。



 「Cさんたちと、徴兵制の是非を議論したいわけではなく」と断り書きを書いたから?

 そうではなく、たまたま見に来られていなかったからだと記憶しております。



 「なぜ徴兵制は合憲なのか。質問だけすればいいのでは」という声が後からあったし、それより以前、つまり、この当時そういう選択肢も考えたのですが、それは採用しませんでした。

 そして、9月1日に書いたのが次のもの(一部抜粋)。

 タイトル:ズルい女

 8月28日の日記:「徴兵制と日本国憲法」のコメント(URL省略)

 平穏に続いていますが、それが続くことを望んでいます(笑)。

 ただ、今後のためにも(他の場所も含む。)言っておきますが、私が「紹介」「議論」する場合、かなりの限界があります。

 たまに「捏造」することはありますが、通常は、通説(一般に通用している学説)の結論なり、根拠を提示しているつもりです。
 それと異なることを書かれても、

 「その根拠は何?(それを示せないと、あなたの負け。)」

 ということになるでしょう。

 もちろん、通説なるもの、一部の人たちで「説得的だ。(反論してやろう。)」と盛り上がっているだけで、一般的には取るに足らない、影響力のないものかもしれないのですが…。

 まあ、そういう学説によっかかって   「その根拠は何?(それを示さないと、あなたの負け。)」  と言っているだけで、新しいものを産み出さない私は、ズルい娘…。(´・ω・`)バイバイアリガトウ・・・♪

 言わんとしていることは、1月1日の日記で示したように、現状を変えるためには、正確には、少なくとも「異なる意見の人を説得する」ためには、しかも、他人のコメント欄で「何らかの理由付けを提示できますか?」ってことだったんですけれどね…。

 「カチンときた」、「俺様の気に食わないことを言いやがって」と思ったとしてもです。



4.「一枚岩ではない」各見解

 (つづく)