意見の多様性と多数決・その3−1

 11月7日の日記:“意見の多様性と多数決・その2”の続編。
 みくCでは、前回の日記よりも先に、10月10日・11日に分けて書いた話(マイミク限定)をこちらに…(^^;。

 前々回は、定住外国人地方参政権の付与について、意見の多様性のほかに、合憲性という視点と法律制定への賛否という視点で、「敵味方の陣営が変わる」みたいなことを言い、前回は、それに加えて、両極端(?)な見解でも、「ゴールは同じ」ということも言ったつもり…(本当か?)。

 今回は、「自分の感覚の矛盾」も指摘し、立法論の多様性についても指摘してみようかと…(^^;。

 長くなりそうなので、今回は、「自分の感覚の矛盾」も指摘するところまでを書きます。




0.前提知識

【刑法】
(執行猶予)
25条1項本文
 次に掲げる者が3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金の言渡しを受けたときは、情状により、裁判が確定した日から1年以上5年以下の期間、その執行を猶予することができる。
(法律上の減軽の方法)
68条  法律上刑を減軽すべき1個又は2個以上の事由があるときは、次の例による。
 1  死刑を減軽するときは、無期の懲役若しくは禁錮又は10年以上の懲役若しくは禁錮とする。
 2  無期の懲役又は禁錮減軽するときは、7年以上の有期の懲役又は禁錮とする。
 3  有期の懲役又は禁錮減軽するときは、その長期及び短期の2分の1を減ずる。
 (4〜6 省略)
(殺人)
199条
 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは3年以上〔現行:5年以上〕の懲役に処する。
尊属殺人
200条
 自己又は配偶者の直系尊属*1を殺した者は、死刑又は無期懲役に処する。〔現行:削除、現代仮名遣いに変更した。〕

 他にも引用すべき条文がありますが省略して…、「刑の減軽」には、「法律上の減軽」と「酌量減軽」があり、それぞれ1回できる。

 「人を殺した」被告人に対して、執行猶予を付けられるのは、「3年以下の懲役」の場合。

 そこから逆算すると、処断刑は、3×2×2=「12年以下の懲役」でなければならないわけです。



1.尊属殺法定刑違憲事件の場合
 (1)事件の概要

 Wikipedia:“尊属殺法定刑違憲事件”の“1 事件の概要”に丸投げ。



 (2)最高裁の対応

 http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=02&hanreiNo=26980&hanreiKbn=01
  旧刑法200条によると、尊属殺人は、死刑または無期懲役

  下限の無期懲役だとして、最大限である2回の減軽をする、つまり、心神耗弱と情状酌量による減軽をしたとしても、懲役3年6月(>懲役3年)となるため、執行猶予はつけられず、実刑になる。

  それでは、あまりにもかわいそうだ。



  そこで、最高裁は、(内部での理由づけは違えど)違憲判決を下した(14:1の大差)。

  つまり、15名中14名は、旧刑法200条は憲法14条違反だとして、旧刑法199条の殺人罪を適用し、執行猶予をつける考え方をもっていた。



 ○8人の多数意見(=「手段違憲

 (a)立法目的:正当(合憲)
    ∵普通殺人(刑199条)に比べた尊属殺人(刑200条)の背倫理性
      ⇒※自然的愛情を紐帯とし一定の秩序ある親族結合を破壊する
        〔⇔批判:夫婦・兄弟間の殺人、親による子の殺害の場合の刑の加重規定がない。〕
       ※尊属に対する尊重報恩は、社会生活上の基本的道義
        〔⇔批判:配偶者の直系尊属も含まれることから、戦前の「孝」、「家」制度に基づくもの。〕
 (b)立法目的達成手段:甚だしく均衡を失し、これを正当化しうべき根拠を見出しえない(違憲
    ∴刑法199条と比べ、2回の減軽をしても執行猶予をつけられない刑法200条は、「著しく不合理な差別的取扱い」(憲法14条違反)。

   そう、多数意見は、目的は正当だけれど、手段が「行きすぎ」だった

   つまり、逆に言えば、手段が「行きすぎ」でなければ、違憲にはならなかったのかも…。

 ○6人の意見(=多数意見とは理由付けは異なるが結論は同じ)の無茶なまとめ(=「目的違憲*2

 (a)'立法目的:不当(違憲
    ∵(1)の2つの「批判」
 (b)立法目的達成手段:不当(違憲
    ∵(1)と同様。

 この立場は、目的・手段ともに違憲だと考える。通説はこの立場。

 しかし、規制手段が厳しすぎなければ、「少数派」に転落していた。



 ○1人の反対意見

 (a)立法目的:正当(合憲)
 (b)'立法目的達成手段:正当(合憲)
    ∵法定刑の定め方・量刑の不均衡は、原則、立法政策の問題。将来の立法論としての考えはあるが、裁判官としては立法論をいう立場にはない。

 この立場は、目的・手段ともに合憲だと考える従来の最高裁判例ですね。

 しかし、旧200条の法定刑が極端でなければ、(今日においても)多数派になる可能性を秘めているわけです。



 (3)最高裁判決の意義

 (1)日本国憲法下での「初の法令違憲」(従来、刑法200条が合憲であることは確立した判例だった。)
 (2)ただし、違憲判決の効力は、個々の事件のみであり、他の事件において、当該規定の合憲を前提とした判決を下しても「一応」問題ない(個別的効力説)。しかし、同日・それ以降の別事件でも、(本件ほどには、不憫ではないにせよ)違憲判決。
 (3)検察も、当該規定の誠実執行義務から解放されるだけだから(個別的効力説、および、憲法73条1項参照)、尊属殺人で起訴しても良い。実際には、通達に基づいて、起訴しなかった(=違憲判決を尊重した or 責任回避)だけかも。
 (4)裁判所・検察は、刑法200条を使わなくても、法定刑の幅が広い刑法199条(死刑〜懲役3年)で、充分に対応できる。
 (5)国会は、与党内部での強い反対もあり、1995年(平成7年)刑法改正まで、改正せず。
 (6)多数意見の立論では、罪刑の不均衡が違憲とする理由だから、刑が比較的軽く、執行猶予のつけられる傷害罪等他の尊属加重刑罰は、合憲。(その後も合憲判決あり。ただし、平成7年改正で全て削除。)




 (4)仮定

  ここで、最高裁の「結論」に賛成だとする。反対の方もおられるかもしれないけれど、賛成の方が多数派だろう。

  「反対」の場合も書くとややこしくなるので、今回のエントリーは、「最高裁判決に賛成だ」と仮定して、書くことにする。



 (5)反対派の存在

  さて、最高裁判決の「結論」に賛成だとして、現実の世界・ネット上の世界において、次のような見解を目にしたときに、どうされますか?

 (x)旧刑法200条は合憲であり、同条を適用すべき。よって、本件では、無期懲役・2回の減軽をして懲役3年6ヶ月、執行猶予はつけらない。*3
 (y)「被告人はお父さんの青春を考えたことがあるか。男が30歳から40歳にかけての働き盛りに何もかも投げ打って被告人と一緒に暮らした男の貴重な時間を、だ」*4
 (z)「夫婦のように平穏に生活してきたのに、恋人ができたゆえに父親が邪魔になり殺害したのではないか」*5

 さて、皆さんは、上のような見解を目にしたとき、ネット上であれば、コメントを書きに行くこともできるし、自分の日記に書くこともできる。

 思うところがあったとしても、スルーすることもできる…

 どうされますか?






2.「介護疲れ」などの場合



 現在、旧刑法200条の規定はない。

 よって、尊属殺人であっても、刑法199条(法定刑の上限は死刑、下限は懲役5年)で処理することになる。




 きちんと調べていないのでこの手の量刑相場は良く分からないけれど、
 例えば、親の介護はしつつも、ギャンブル好きでだった人が、介護につらくなって殺害した場合、どの程度の量刑が妥当でしょう?

 かりに、(身勝手な犯行ながら、介護はしていたということで)懲役7年だとする。

 許せますか?

 旧刑法200条があれば、最低でも無期懲役にできたのに…。



 ここで、「この程度の量刑でいいのだ。」と思われる方もいらっしゃるでしょう。その場合は、一応、「1.」の結論とは一致する。そのままで結構。

 しかし、「この人には、もっと重い刑を科すべきだ。」と思われる方も多いでしょう。

 そういう意味では、「1.」のときに同じ結論を採られた方と意見が異なるわけです。

 「もっと重い刑を科す」ための筋道を考えていきましょう。




3.自分自身の感覚の整合性

 まず、「そうだ、旧刑法200条は合憲だったんだ。」と思ったとしよう。

 そうすると、表面的には、「1.」のときの、「違憲という結論」と矛盾だし、そのときの「自分自身の感覚」とも矛盾する。

 また、「旧刑法200条自体は合憲で、1.の事件に適用したのが間違いだった(違憲だった)」(適用違憲)ということでも、上の最高裁判決は「法令違憲」であるがゆえに、少なくとも最高裁判例の結論とは異なるわけです。

 「いやいや、1.の事件は、あまりにもかわいそうだった。今回のはかわいそうではないでしょ。」と考えたとしてもダウト。上の最高裁判決と同じ日に下された(あまりかわいそうではないかもしれない)他の事件も旧200条が違憲であることを前提に、旧刑法199条の問題として処理がなされているし、その後も同様だったから…。

 そういう自分自身の「感覚の矛盾」に気がつかずに、「この程度の量刑で良いのだ」と思われている方を批判しませんか?

 この点は、常々、気になっているところです…(^^;。



 では、最高裁判例をうまく回避しつつ、「もっと重い刑を科してもらう」方法はないのか?

 今日は、2つほど紹介し、もう1つの方法である「立法論」については、後日ということにします。

 そう、法律改正しようとする立場であっても、いろいろな選択肢があるがゆえに、それぞれ意見が対立するということを示そうかと…(^^;。



4.厳罰化のための方策・その1

 (1)「裁判批判」をする

  「自分の感覚と異なる判決であるから気に食わない」からと、「その判決がおかしい」と批判はできます。表現の自由の範囲内で。

  しかし、それだけでは、同調してくれる人はいても、意見の異なる人は「説得」できない。

  だから、例えば、「1.」の最高裁の多数意見の理由付け(尊属殺人の背倫理性)を持ち出すなどして、「説得」することになるでしょう…。

  最高裁の「意見」のような「通説」にどこまで対抗できるかわかりませんが…。

  また、批判をしたところで1人では無力。

  かりに、マスコミが騒いだところで、裁判所が「耳を貸す」ことがなければ、厳罰化されることはないでしょう…。

 (2)裁判員としての参加

  自分自身が、裁判官だったりすれば、「上からの縛り」などがあるにせよ、厳しい判決を下すことはできるかもしれない。

  同じような意味で、見事、裁判員に選抜されれば、厳しい判決を下すことができるかもしれない。

  しかし、裁判官であれば、何度も判決を下せるけれど、裁判員になるのは1度あるかないかくらい?尊属殺の事件にめぐり合うかどうかもわからない。

  いずれにせよ、今のような法定刑が広い状況においては、「同様の事件が裁判所によってまちまちの判断を受ける」*6ことになるかもしれない。

 (3)立法論

  (次回に続く)

*1:尊属の定義については、こちらを参照。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8A%E5%B1%9E#.E5.B0.8A.E5.B1.9E.E3.81.A8.E5.8D.91.E5.B1.9E

*2:署名押印のできなかった4人のうち3人が、この立場。残りの1名が多数意見派。こちらの6人のうち5人は、同年4月25日の大法廷判決では、「少数派」…。

*3:本件の控訴審の結論および最高裁判決の反対意見。

*4:田中成明編『現代理論法学入門 (現代法双書)』(法律文化社、1993年)207ページ〔高井裕之・執筆〕経由で、本件のドキュメンタリー:谷口優子『尊属殺人罪が消えた日』(筑摩書房、1987年)208ページ。本件控訴審における某裁判官の発言。

*5:高井・前掲論文208ページによる、谷口・前掲書206−208ページの要約。

*6:高山佳奈子危険運転致死傷罪の死角」世界2008年3月号28ページ。タイトルが示すように、署名活動が立法の契機となった危険運転致死傷罪(刑法280条の2)の話であり、尊属殺とは違う。しかし、今後、この種の殺人が増え、裁判員制度が導入されれば、処罰の不均衡が予想されるかもしれないよね、っていうくらいで、引用しますた。「郄(たか)」は文字化けしますね…。