意見の多様性と多数決・その2

 10月20日の日記:“Wikipedia補完計画・その4”のメインでっしゅ?

 前回の11月2日の日記:“意見の多様性と多数決・その1”の続きでして、みくCでは、10月12日・17日の2回に分けて書きました(ただし、現在マイミク限定公開)。

 前回は、定住外国人地方参政権の付与について、合憲性という視点と法律制定への賛否という視点で、「敵味方の陣営が変わる」みたいなことを言いました(本当?)。

 今回・次回も、別の事案で、そういうことを示すだけにすぎません。

 今回の事案は、知人から「元日本軍人の韓国人戦没者靖国神社合祀をなぜ止めされられないのか?」という質問を受けたというか、議論になったことに始まります…。




 さて、(大まかな意味で)その先例になるのが、

1.自衛官護国神社合祀事件

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E8%A1%9B%E5%AE%98%E8%AD%B7%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E5%90%88%E7%A5%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6
 http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=01&hanreiNo=25944&hanreiKbn=01



 事案を簡単に言うと、
 自衛官の夫を亡くしたクリスチャンの妻が、夫が「祭神」として県護国神社に祀られることが苦痛である、それは「権利侵害」に当たるとして、〔県護国神社ではなく〕合祀申請を行った県隊友会・県自衛隊地方連絡部を相手に損害賠償請求を行った事件。



 憲法の教科書でよく言及される政教分離の話はさておき、今回は、「宗教的人格権」のところに焦点を当てようかなと…。



 この点について、最高裁は、どういうことを言ったかというと、

(1)「合祀申請が神社のする合祀に対して事実上の強制とみられる何らかの影響力を有したとすべき特段の事情の存しない限り、法的利益の侵害の成否に関して、合祀申請の事実を合祀と併せ一体として評価すべきものではない」が、「本件合祀申請が右のような影響力を有したとすべき特段の事情の主張・立証のない」ので、「法的利益の侵害の成否は、合祀それ自体が法的利益を侵害したか否かを検討すれば足りるものといわなければならない。」
(2)「合祀それ自体は県護国神社によつてされているのであるから、法的利益の侵害の成否は、同神社と被上告人の間の私法上の関係として検討すべきこととなる。」
(3)〔いわゆる私人間効力論を持ち出して〕「人が自己の信仰生活の静謐を他者の宗教上の行為によつて害されたとし、そのことに不快の感情を持ち、そのようなことがないよう望むことのあるのは、その心情として当然であるとしても、かかる宗教上の感情を被侵害利益として、直ちに損害賠償を請求し、又は差止めを請求するなどの法的救済を求めることができるとするならば、かえつて相手方の信教の自由を妨げる結果となるに至る見易いところである。信教の自由の保障は、何人も自己の信仰と相容れない信仰をもつ者の信仰に基づく行為に対して、それが強制や不利益の付与を伴うことにより自己の信教の自由を妨害するものでない限り寛容であることを要請しているものというべきである。」
(4)「このことは死去した配偶者の追慕、慰霊等に関する場合においても同様である。」
(5)「何人かをその信仰の対象とし、あるいは自己の信仰する宗教により何人かを追慕し、その魂の安らぎを求めるなどの宗教的行為をする自由は、誰にでも保障されている」から、「原審が宗教上の人格権であるとする静謐な宗教的環境の下で信仰生活を送るべき利益なるものは、これを直ちに法的利益として認めることができない性質のものである。」

 要約しようと思って、挫折…。(´・ω・`)インヨウダ



 要するに、

 (1〜2)法的利益の侵害の成否は、護国神社と未亡人の間の私法上の関係として検討すべきだとした。
 (3〜5)「信教の自由の保障は、何人も自己の信仰と相容れない信仰をもつ者の信仰に基づく行為に対して、それが強制や不利益の付与を伴うことにより自己の信教の自由を妨害するものでない限り寛容であることを要請しているものというべきである」(「他者への寛容」論)ことを理由に、原審が認めた「宗教上の人格権であるとする静謐な宗教的環境の下で信仰生活を送るべき利益」を(原則的に)否定した(いわゆる「宗教的人格権」の原則的否定)。

 この点(上で紹介した一般的基準及び紹介しなかったあてはめ・結論部分)についても、学説的には評判が悪いらしい。
 この部分での論点は、

 (1) 侵害されたとX〔死亡した自衛官の妻〕の主張するものはなにか、
 (2) 仮に侵害されたなんらかの利益があったとしても、その侵害は受忍限度内のものではないか、
 (3) (2)の点は、特に相手方の宗教の自由ないし宗教上の権利(人格権)との関係で問題になりはしないか、
 (4) 仮に妻(配偶者)に何らかの利益があるとしても、他の親族(父母や子)との関係で、やはり法的に保護されるにふさわしくないものではないか。

 の4点らしい。*1
 つまり、

 当該配偶者の意思に反してなされた合祀申請・合祀が、「配偶者の意思に反して、亡夫が『神』として祀られることが、『親しい者の死について、他人から干渉を受けない静謐な宗教上の思考を巡らせ、行為をなすことの利益」を侵害したことにならないのか?

 我慢しないといけない場合はあるけれど「受忍限度」を超えるのではないのか?

 というような批判はあるわけだ。



 しかし、判例擁護派からすれば、「最高裁はそう言っているもんねー。(通常の答案では、「判例同旨」と書く。)」ということになりかねない…。

 そして、同種の事件だと、このような先例(最高裁判例)があるので、そのままの基準を適用したり、

 また、全く違う(若干違う)事件でも、最高裁判例があるので、そのままの基準を適用して、

 損害賠償を認めるとか、合祀をやめさせるような判決は、出ない可能性が高い…。

 要するに、国家権力たる裁判所が何らかの強制力を働かせるのではなく、あくまで、神社側の自主的な判断を尊重する…。



 そんなわけで、最高裁判所の「将来の多数意見を作る基盤」*2として、伊藤正巳・反対意見があるとか、多くの論者が批判をしているとはいうものの、それらの見解に好意的な判決が出るなんて、かなり難しい。

 仮に、下級審でそういう判決が出ても、その裁判官たちは、その後冷遇されたり、責任を取って(?)どこかに「天下り」したりするかもしれない…。



 そのような中で、原告・一般市民はどうしていくべきなのだろうか?



 まず、原告について言うと、今回と同種の事案を例にすれば、まず、神社側を巻き込むべき。

 そして、最高裁判例とは異なる事案だとか、別の理由付けであったり、同じ理由でももっと説得性を高めたものにするとか、「特段の事情」なるものを持ち出したりする必要があると思う。

 セクハラを念頭に置いて、「権利侵害」の範囲を拡大する主張も一手かも…。*3

 一般市民については、あとで述べる…。



 というわけで、冒頭の問いの話に戻る。



2.在韓軍人軍属裁判

(a)原告の場合

 たまたま、1つ裁判例を見つけた。*4

 その原告団のHP:在韓軍人軍属裁判を支援する会

 http://www.gun-gun.jp/

 を見ていると、現在、控訴審の口頭弁論の段階のようだ。

 しかし、神社側を巻き込んでいないようだ…。(´・ω・`)

 旧厚生省もいろいろ積極的に協力はしたはずだけれど、合祀申請の協力をしたわけではないし、「通知」という事実行為だしなあ…。

 集団的権利は、なかなか認めてもらえないだろうしなあ…。



 やっぱり、国を相手にして、主張すること(主張して敗訴する)ということに、政治的意義はあるのはあるんだろうけれど…。(´・ω・`)



(b)一般市民の場合

 一般市民?

 一般的に、無関心でしょうからね…。

 実は、原告の立場って、合祀をやめさせるという点で、日本人のみ合祀すべきという立場の人とは、利害が一致するんだけれど、共闘はしないだろうしなあ…。



 まあ、いろいろな立場があって、異なる意見に対して、どの程度「寛容な目」で見られるのか?

 そして、どうやって議論し、多数派(?)を形成するのか?

 【上の2つの事件の原告・被告のどちらに「肩入れ」するかは別にして】例えば、「異宗教寛容法」(?)なんて法律*5ができたら、賛成するのか、反対するのか、どのような理由付けをするのか、どうやって多数派形成をするのか…。



【1.に関する主な参考文献】(雑誌に統一しようと思ったけれど、1つは書籍、そのうちの1つの論文は大学の紀要だった…。)

 芦部信喜自衛官合祀と政教分離原則」「政教分離と信教の自由」同『宗教・人権・憲法学』(有斐閣、1999年)53-70ページ、71-94ページ

 河上正二「民法によって体現される憲法的価値」法学セミナー588号(2003年12月)72-78ページ、同589号(2004年1月)66-75ページ

 瀬戸正義「昭和63年 最高裁判例解説〔10〕」法曹時報42巻2号(1990年2月)674-704ページ*6

 高橋和之政教分離と殉職自衛官の合祀」ジュリスト916号(1988年9月1日)21-29ページ

 戸波江二「信教の自由と宗教的人格権」法学セミナー476号(1994年8月)76-80ページ

 星野英一自衛官合祀訴訟の民法上の諸問題」法学教室96号(1988年9月)12-23ページ、97号(1988年10月)88ページ  などなど。

*1:星野英一自衛官合祀訴訟の民法上の諸問題」法学教室96号(1988年9月号)17ページから引用、丸数字は括弧数字に変更するなど適宜修正した。

*2:参照、渡辺康行「公教育における『君が代』と教師の『思想・良心の自由』」ジュリスト1337号(2007年7月1日)38ページ。なお、タイトルが示唆するように、自衛官合祀事件をメインテーマにした論文ではない。

*3:河上正二「民法によって体現される憲法的価値(下)」法学セミナー589号(2004年1月)68-69ページは、「そっとしてもらう権利」、「氏名を正確に呼称される利益」、「肖像権」、「エホバの証人」信者輸血拒否訴訟のほかに、【セクシャル・ハラスメント】を例にして、プライバシー権と人格的利益の侵害に対する不法行為責任を論じる。

*4:第1審の判決は、HPに一部出ているようだけれど、東京地裁平成18年5月25日判決、判例時報1931号70ページ以下、判例タイムズ1212号189ページ以下。

*5:まあ、一方の信教の自由を理由に、もう一方の表現の自由が制限されたり、違反行為に刑事罰が予定されることになるでしょう…。

*6:最高裁調査官による判例解説の意義については、例えば、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E9%9B%86