ブルックリン美術館事件(序)

 4月15日の日記で、予告したテーマを、今頃になって、ちょっとだけ書いてみるテスト。




 まあ、私が書くときの準備というのは、「その事項に関してすべての文章を読んでから書く」(かなり意訳)などというこちらのコメントのいくつか*1が要求するようなレベルのものではありません。

 (内容の問題もありますが)、準備「量」で比べるのであれば、それを上回る量の調査をして批判していただければ結構なわけで、「準備不足だからブログ書くの辞めろ」なんて言わないでくださいね。(´・ω・`)



 ほうむ博士になられた方でも、通読されるかどうかわからないとも言われる*2、小山剛・駒村圭吾編『論点探究 憲法』(弘文堂、2005年)の17章、「国家助成と自由」(駒村圭吾・執筆)180ページのFurther Readingsで紹介されている、奥平康弘『憲法の想像力』(日本評論社、2003年)第3章の中から*3、第3章の冒頭142−177ページにある同「“自由”と不連続関係に在る文化と“自由”と折り合いをつけることが求められる文化」を読んで、その中でも、ニューヨーク市立ブルックリン美術館事件についてまとめてみるテスト*4

 事件のおおまかな経過としては、次の箇所を引用すれば足りるでしょうか…。



 と思って、まとめようかと思ったけれど、マイミクさんのブログが「炎上」しているのを見ると、あまり過激なこと書けないなあと思ってしまうし、書く精神的なゆとりが今日はないので、このへんで…(オイ。

*1:「最新のコメント」で表示される以外は、正確なURLがわからないんですね。

*2:嫌味ではありません。だって、卒業して合格することが第一目標で、その間、膨大な勉強をしなければいけないわけだから。しかも、代替可能な文献もあるでしょうし…。

*3:駒村論文では、第3章全体が参照とされている。

*4:奥平論文の初出は、法学セミナー2000年7月号〜9月号。富山県立近代美術館問題を考える会『富山県立近代美術館問題・全記録―裁かれた天皇コラージュ』(桂書房、2001年)181ページ以下にも再掲されている。