公務での書き込み
約2週間ぶりの更新です…。(´・ω・`)
2月17日の日記で、
「あと2つ(「比較可能な価値」・「切り札ではないかもしれない『切り札』の人権」)なんて書こうかと思っています…(^^;。」なんて、大見得(?)を切った割には、まだ書いていませんね。(´・ω・`)
今日は、中央省庁のお役人さんが、公務で、よそ様のブログにコメントを書くことの意味(の一部)について…。
それを考えるきっかけになったのは、フラスコさんのブログ「大学教員の日常・非日常」の3月22日付のエントリー“文部科学省 情報ひろば”における、広報室の中の人らしき方による29日付けの書き込み。
「文部科学省 情報ひろば」で検索をかけると、グーグルで現在5位、ヤフーで36位。
検索をかけて、内容を読まれた。
そして、「国民との双方向コミュニケーション機能を強化する取組の一環として」また「多くの方に……信頼と親しみをもっていただけるよう日々全力で取り組んでいきたいと思い」書き込みをされたのでしょう…。
書き込みを見たとき、正直言って、びっくりしました。
それは、よそ様のブログに、コメント書かれているのは、はじめて見たからということもあるからだと思います。
しかし、そういう見慣れないものを見たからだけではない、そのほかのことが原因で、違和感を感じました。
なぜ違和感を感じたのか?
わが身を振り返ると、要するに、私としては、
公権力の担い手、とくに監督官庁の人間が、
ブログの内容に、いちいちコメントをつけるな。
そういう意見があることを知ったなら、
HPで、いっそうの情報提供に努めればよい。
っていう意識があるということなんでしょうね、たぶん。
これに対しては、
監督官庁の人間が、コメント欄を開放するブログに、
まともなコメントをすることは、なんら問題ないし、
むしろ好ましいことだ。
とも思えます。
しかし、私なら、今後、あんなことは書けないなあと。
「箱物の匂いがぷんぷん」である証拠を持っていないから。
証拠もなく、言いたいことを言うってことをできない。
「証拠を見せろ」、「見せれないと処分するぞ」って、
広報室の中の人に言われそうだから…。
少なくとも、大学教員で、しかも、実名ブログでは、あんなこと書けませんね、私なら。
双方向コミュニケーションの意味、表現するということの自覚を、私が理解していないのでしょうか?
私が、「書き込み」「監視」に耐えられない、へっぴり腰なだけでしょうか?(´・ω・`)