表現の自由の重要性

 私は、例えば、「憲法」と名のつく教科書をすべて読んでいるわけではありません。年にどれくらい出版されるのでしょう・・・(^^;*1。また、分厚い教科書を読んで、あとはそれ以降の最新情報(法改正・最新論文)をフォローしておけば問題ないとも思っているところがあります。

 ただ、最近は、入門的な教科書の類も数多く読んでおいたほうがいいかなと思うようになっています。「こういう表現をすれば、皆さんに分かりやすい。」かなとか・・・(^^;*2

 そういうわけで、たまたま、入門的な教科書の中から、表現の自由の重要性を紹介しようかと。ちょっと興味深い指摘もあったので・・・(^^;。




 引用する文献は、

いちばんやさしい憲法入門 (有斐閣アルマ)

いちばんやさしい憲法入門 (有斐閣アルマ)

 この教科書の81−82頁(棟居快行*3・執筆)から引用します。

表現の自由の重要性

 表現の自由日本国憲法の保障する人権のなかでもとりわけ重要度の高いものといわれています。これを「表現の自由の優越的地位」などといいます。その理由としてふつういわれているものは、次の3つの点です*4
 ①人間はコミュニケーションしたいという本性(人格的欲求)をもっているから、表現の自由をむやみに規制すると、この本性を否定することになってしまいます*5。・・・
 ②多様な意見が自由に発表され、人間がそれらを自由に批判したり反論したりする場(「思想の自由市場」という呼び方をします)が保障されてはじめて、人間社会が進歩し真理に近づいていくことができるのです。表現の自由を制約すると、正しい意見がヤミからヤミに葬られるかもしれないし、たとえ間違った意見であっても、みんなが批判して淘汰(なくしていくこと)すればいいのだから、いずれにしても表現の自由を制約することは許されません。・・・
 ③民主主義と表現の自由は不可分一体ですから、憲法が民主主義という政治体制を掲げるからには、表現の自由を保障するのは当然です。民主主義が本物の民主主義といえるためには、特に少数意見の発表の自由が必要不可欠です*6



 まとめますと、表現の自由が重要なのは、

 1.自己実現の価値
 2.思想の自由市場
 3.自己統治の価値

 という3つの理由があるからだと。実は、特に、「2.思想の自由市場」を入れることには、異論があるのでしょうが、これを論じるには、大変な労力がかかるだろうし、最高裁判所も、有名な「北方ジャーナル」事件、最大判昭和61年6月11日、昭和56年(オ)609事件、民集40巻4号872頁において、

 裁判所の仮処分による差止めが「検閲」に類似する側面を帯有していることも、否定することはできない。第一に、それは、表現行為が受け手に到達するに先立つて公権力をもつて抑止するものであつて、表現内容の同一のものの再発行のような場合を除いて、差止めをうけた表現は、思想の自由市場、すなわち、いかなる表現も制限なしにもち出され、表現には表現をもつて対抗することが予定されている場にあらわれる機会を奪われる点において、「検閲」と共通の性質をもつている。 (強調は、しが研が行った。)

 と、「思想の自由市場」という用語が使われていますので・・・(^^;。

引用ページで興味深かったところ

 話を元に戻しまして、興味深かったところを。先ほどは引用しませんでしたが、思想の自由市場の箇所で、棟居教授は、次のように説明しています(82頁)。

 とりあえずみんなでわいわい議論して、他人を納得させたものがその時点では「正しい」というしかない、ということなのです。もちろん社会の多数派は、自分たちでどんどん新しいアイデアを発表できるほど賢くはないでしょうが、古い常識にとらわれずに、柔軟に新しいアイデアに耳を貸すことはできるのです。自分は偉いつもりのお役人や「学識経験者」たちが、密室の中で何が正しくて何が間違いかを振り分けるのに比べると、大勢で考えたほうがよっぽどマシだというわけです。

 この教科書が、「本当に一番分かりやすいかどうか」はさておき、この部分について、どういう感想をもたれるでしょうか?

*1:出版される数を考えれば、たぶん、「行政法」のほうがすべて読む可能性は高いですよね。また、信頼のおける人から「あの教科書は失敗作だ。」などといわれると、読みたくなくなって、しかし、その教科書がある論文やブログで引用されたりすると、読まないと・・・(´・ω・`)。

*2:入門書や入門的な雑誌に、その方の最新の見解が登場したりして驚く場合もあったりするわけですが。

*3:「むねすえ としゆき」と読みます。

*4:しが研注:丸数字も原文のままです(^^;。

*5:しが研注:一般に、「自己実現の価値」といわれます。芦部信喜高橋和之補訂)『憲法 第三版 第三版』(有斐閣、2002年)162頁の定義ですと、「個人が言論活動を通じて自己の人格を発展させるという、個人的な価値」です。

*6:しが研注:大まかに言えば、「自己統治の価値」にあたるでしょうか(^^;。芦部信喜高橋和之補訂)『憲法 第三版 第三版』(有斐閣、2002年)162頁の定義ですと、「言論活動によって国民が政治的意思決定に関与するという、民主制に資する社会的価値」です。