比較可能性・その1

 ただのメモです。今年中に書けない気がする・・・。

 というか、ハセビアンを自称する君、がんばって研究して、数年後に、論文として出しませんか?*1




 まず、長谷部恭男*2編『憲法本41―改憲・護憲をいうまえに学んでおくべきこと (Best Selection)』(平凡社、2001年)155-156頁(渡辺康之・執筆)に倣って、長谷部恭男『憲法学のフロンティア』(岩波書店、1999年)7頁(第1章「リベラルデモクラシーの基底にあるもの」の「三 国家権力の限界」)*3から引用。

 この世には、人がそもそもいかに生きるべきかについて、相互に比較不能なさまざまな考え方が存在する。こうした状況の下で、人々がなお社会生活の便宜を享受するためには、社会の共通の利益について理性的に審議し、決定する場としての公共空間を切り拓かなければならない。人々は、社会全体の利益が何かを考える際には、人としていかに生きるべきかについての究極の価値を一応括弧に入れ、究極の価値を共有しない他の人々とともに、共通の議論のルールと枠組みに沿って、討議し決定する民主的な政治過程に参与しなければらない。リベラル・デモクラシーはそうした社会である。
 注意を要するのは、リベラル・デモクラシーの下での国家の役割は、最初から限定されていることである。(以下、省略)

 そして、国家の主要な任務として、調整問題の解決・公共財の提供・人権の保障を挙げらておられる*4

 憲法学説も、比較不能な考え方であって、あとは説得力の問題であるとして、いろいろナイロンいろいろな異論がありますが、1つだけ。

 いきなり論理飛躍で恐縮ですが、やはり、競争試験の成績とかは、比較可能なのでしょうか・・・。(´・ω・`)

*1:といって、現在または将来、先行業績があるのかもしれないけど・・・。

*2:「はせべやすお」と読みます。人名は難しいでつね。(´・ω・`)

*3:初出は、法学教室223号(1999年)。

*4:参照、長谷部恭男『憲法 (新法学ライブラリ) 第3版』(新世社、2004年)8頁以下(「1.1.4 法の3つの役割」)