チャタレイ事件・その3(たぶん完)

 先月27日に書いてから、2週間放置してしまいましたorz。2週間あったからといって、新たに勉強したわけではなく*1、取り留めのないことを書き連ねるだけです。



そもそものエントリーの趣旨

 実は、

完訳チャタレイ夫人の恋人 (新潮文庫)

完訳チャタレイ夫人の恋人 (新潮文庫)

のを紹介したかったから*2。しかし、そのほかにも、いろいろと出版されているみたいですね・・・。


若干の感想

 ちょっとしか文献を読んだだけですし、比較法的な検討をすることができるわけではないで、若干の感想のみで、一応のエントリーを締めくくろうと。刑訴法の論点も省略。

  • 伊藤礼氏が紹介される、アメリカ・イギリスでのチャタレイ裁判(いずれも無罪)*3。確かに、日本語への翻訳の際に、「わいせつ」になる可能性はあるから、日本でも当然無罪になるべきとはいえないだろうけれど、「わいせつ」の定義を明確にしつつ*4、絞り込んだ上で、あとは、時・場所の規制で対応できないものだろうか。
  • そういえば、芦部信喜高橋和之補訂)『憲法 第三版 第三版』(岩波書店、2002年)172頁の定義づけ衡量論の説明の箇所で、さらっと、

 性表現について言えば、わいせつ文書の罪の保護法益社会環境としての性風俗を清潔に保ち抵抗力の弱い青少年を保護することと解する説が有力である)との衡量を図りながら・・・。

 と書かれていたなあ(強調は、しが研が行った。)*5

  • 阪本教授は、判例百選では、公共の福祉のところを強調されていたが、判例の蓄積のところをあまり強調されていなかったなあ。
  • 日本におけるチャタレー事件最高裁判決における真野裁判官の補足意見の一部を紹介する*6

 道徳ないし良風美俗の守護者をもつて任ずるような妙に気負つた心組で裁判をすることになれば、本来裁判のような客観性を尊重すべき多くの場合に法以外の目的観からする個人的の偏つた独断や安易の直観により、個人差の多い純主観性ないし強度の主観性をもつて、事件を処理する結果に陥り易い弊害を伴うに至るであろう。

*1:なにせ、10月31日に書きましたような、ダメダメ研究家でございますから。

*2:補訳された伊藤礼氏による、「改訂版へのあとがき」によると、昭和39年出版の旧版の初版は、主要な削除の箇所がアステリスクで記されており、その箇所は、10箇所あまりで、頁数にして、70〜80頁だったとされているので、旧版のみ読まれた方は、是非。

*3:その本を国内に持ち込んだら・・・。

*4:ホントに、今、明確なんですか?

*5:阪本昌成教授は、「憲法学者のみならず、刑法学者が刑法175条の違憲性を指摘しながら、わいせつ物頒布規制が、個々人の性的自由の保護に向けられるべきことを説く」ことを紹介する。同「58事件 わいせつ文書の頒布禁止と表現の自由――チャタレイ事件」芦部信喜高橋和之・長谷部恭男『憲法判例百選〈1〉 (別冊ジュリスト (No.154))[第四版]』(有斐閣、2000年)119頁。

*6:参照、市川正人『表現の自由の法理』(日本評論社、2003年)311頁(14日追記:初出は、同「表現の自由制約の違憲審査基準」法学教室203号(1997年)。