再び木村草太先生への返信です

 昨日は、ご多忙のはずの木村先生から、再度、コメントのみならず、ブログの執筆*1をしていただきました。

 このように日本有数の若手憲法研究者である著書様と直接「対話」できることは大変光栄なことであり、私にとって有意義なことであり、大変感謝しております。

 ただ、如何せん不勉強なもので、著者様にはご迷惑ではないかと思ったりビクビク・ドキドキするわけです…(^^;。



 とはいうものの、せっかくの機会なので、先生のブログのエントリーを踏まえた上で、改めて、LRAに関する私の感想を述べさせていただきたいと思います。m(_ _)m

 結局のところ、泥縄状態ですし、1日間では大した進歩もなく、調査不足・勉強不足なところ*2が多々あるかもしれませんが、ご容赦願います。m(_ _)m




 第8問での「10,000万円程度の『お小遣い』が存在する」と同様、「LRAの有無を判断をする際、刑事制裁と民事制裁とを直接秤にかけていい」ということを示した文献があるのかどうか、疑問に思いました。

 日本有数の若手憲法研究者の一人である木村先生が、こうして『憲法の急所―権利論を組み立てる』という書籍の中で書かれているわけだから、「信用」すればいいのでしょうが、「そういうことを明示した文献を読んだことがない」という理由で、疑問に思ったわけです…。自分の不勉強さによるものかもしれないのに…。




 今回は、LRAについてのみ言及したいと思います。

 処罰の必要性(LRAの基準)について、所有権・管理権の侵害に対しては、……刑事処罰ではなく民事手続で足りる、という筋の議論はしばしば出てくるところです。

 という木村先生のご指摘に対する疑問について、補足説明させていただきます。



 昨日の木村先生のエントリー、おっしゃることはわかるのですが、私がそれを読んでも未だに疑問に思っている原因は、別の方向性・結論がありうるということなのでしょうか。また、判例や刑法学に対する認識・「相場」観の違いであるとか、答案作成の論証の厳密さの認識の違いに由来するものなのでしょうか…(^^;。

 以下では、前回の疑問を大きく2つに分けて書いてみることにします。



(1)LRAの基準適用の際の比較対象は?

 もちろん、第3問の検討編の記述であるし、文脈上から、表現行為に対する処罰の必要性(LRAの基準)が問題となっており、その対抗利益として所有権・管理権の保護が存在することは明らかです。また、LRAの基準を適用する、すなわち、【Yの表現の自由を制約するほどの重要な目的が存在し、かつ、より制限的な他の選びうる手段がない場合に限って合憲とする】基準を適用するわけですから、Aという規制手段を具体的に考察した結果、合憲か違憲かを判断すべきだということもわかります。

 ただ、そのような検討・判断をする際に、「刑事処罰ではなく民事手続で足りるという筋の議論がしばしば出ている」のかどうか分かりませんでした

 なぜならば、「(民事手続で足りるのに、不必要に)刑事罰を科す点が違憲である」という記述を目にしたこと(または目にした記憶)がなかったからです。もちろん、「LRAの基準を適用すべき」という記述はよく目にするし、「違憲である」という記述も目にするので、「『LRAの基準を適用した結果、違憲である』とする立場が多い」とは思ってはいますが…。

 「表現行為からの所有権・管理権の保護」が問題になるものとしては、本問のようなポスティング規制のほか、ビラ貼り(や戸別訪問規制全般?)などもありますが、このように調査範囲を広げても、「(民事手続で足りるのに、不必要に)刑事罰を科す点が違憲である」というような明示的な表現を目にしなかった(目にした記憶がない)ということです…。(とくに演習本が問題になりますが)読書の質・量がともに圧倒的に不足しているからかもしれません…。(´・ω・`)



 さて、このような「刑事処罰と民事手続」の比較*3、すなわち、昨日の木村先生の表現にいう「刑事手続に対し民事手続がLRAになる」根拠は、「刑法の謙抑性」とのこと。

 私が、上記のような疑問を持ったのは、「法学部的な常識」が欠けているだけなのかもしれません…。(´・ω・`)

 私も、刑法の「謙抑性」の項目を読んだことはありますが、先の事情から、刑法の一般原則から導出されるものだという認識が欠けていたのかもしれません…。




 結局のところ、「刑法の謙抑性からは、LRAの基準を導出できない」「刑事手続に対し民事手続がLRAにならない」という文章を読んだ記憶はないし、探し出すこともできませんでした。

 木村先生がおっしゃっていることなのだから、(刑法の答案としてはともかく、憲法の答案としては*4)私がとやかく言う必要はないのだろうなあ、というのが現段階での印象です…(^^;。



 ただ、「刑事罰と民事手続は、その目的、性質、効果を異にする別個の制度であるから」という形でLRAに持ち込まない(代替手段があるとはいえないという)判断であるとか、

 また、木村先生の論証に沿いながらも、国が管理するものについては、「国民の税金を原資に訴訟係属してくるのだろうから酷にはならない」*5もありうるところかと思います…。




 また、「LRAになるという主張をするためには、管理者の側に負担を課すのは酷である」という趣旨のことを書けば大丈夫なのだとすると、「予備校的答案技術」といいますか、木村先生のお墨付きを得た「論証ブロック」として流布することを老婆心ながら危惧したりもします…*6




2.「所有権・管理権の侵害」以外の場合は?

 本問の検討をすればいいのだから、「表現行為による所有権・管理権の侵害」が問題になった場合に限定した解説をすれば足りるといえば足りるわけですが、それ以外の場合はどうなのかなと。

 「刑事手続と民事手続」を比較できそうなものとして、真っ先に思いついたのは、名誉毀損罪です。まさか、名誉毀損罪一般を、「民亊手続で足りるから違憲」ということにはならない(合格答案にはならない)と思うのですが…*7

 その他の「表現行為による名誉権・プライバシー権の侵害」の事例については、私人間効力論(第3章)の処理が問題になるので、LRAの基準は問題になりにくいのかな…。(´・ω・`)



 「所有権・管理権の侵害」以外には他にもいろいろあるかもしれませんが、とりあえず(現段階では)、以上のような疑問を持っている次第です…(^^;。

*1:http://blog.goo.ne.jp/kimkimlr/e/01da54fec7c0736031e02f35f69f9188

*2:探し方が悪い、読んでいない、読んでいても読み方が悪い、読んでいても忘れているかもしれない、などによる悪循環…。(´・ω・`)

*3:例えば、第1問の代替手段にあがっているのは、CD伴奏なわけです。何が代替手段なのかは、事案によって異なる、個別具体的に考える点は首肯できるのですが、未知の問題が出た場合には、「現場で考える」しかないのでしょうか…。そのために役立つような説明はできないものでしょうか?

*4:この点については、2009年12月10日の日記のコメント欄でそれとなく触れていますが、要するに、刑法学の「多数説(?)」は、「有罪に決まっているだろ」という認識があるからです。松井茂記LAW IN CONTEXT 憲法 - 法律問題を読み解く35の事例』(有斐閣、2010年)286頁で最高裁判決に批判的な論考を並べようとも、判例評釈の多くが最高裁判決に批判的であっても、山口厚新判例から見た刑法 第2版 (法学教室Library)』(有斐閣、2008年)や島田聡一郎=小林憲太郎『事例から刑法を考える 第2版 (法学教室ライブラリィ)』(有斐閣、2011年)を読んだりすれば…。「いや、その認識は違う」という方ごめんなさい…。最高裁判決は、「LRAの基準」自体ないし「可罰的違法性」自体を排除していないだろうけれど、それが肯定される範囲は、学説が主張しているほど広いものではないため、その理論を公定してもらい、その適用範囲を広げるためには(運動論的に恒常的に主張するということも含め)がんがってください、ということです…。

*5:以上のような論証をどこかで読んだ気がするのだけれど、どこで読んだのか忘れてしまって、探し出せないのがダメダメなところ…。(´・ω・`)

*6:先の「(民事手続で足りるのに、不必要に)刑事罰を科す点が違憲である」という記述を目にしたこと(または目にした記憶)がなかったという視点からの言及です。以前から流布しているかもしれないし、その点は未確認です。

*7:わいせつ規制と並んで基本的な話だから、こういう質問自体ダメダメかもしれませんが…。