稲田女史のコメントを読んで

 今回のお話は、みくCでも、ネット記事を、毎日追っていただけで、きちんと書いておりませんでした。

 たまたまplummet教祖様の日記にコメントをつけてしまったので、乗りかかった船、(大した準備をせずに)若干補足(?)をば。

 ちょっと調べようかなと思った背景には、町村教授の「読売onlineには、あの稲田議員の無邪気なコメントがでている。」という「無邪気」という表現がどういう意味なのか、気になっていたからでもあります。*1




 で、4月9日付の“衆議院議員 稲田朋美:「お知らせ」”*2を読んで、疑問に思ったことを以下に。



 まず、事実関係。

 今年の2月に伝創会で助成金支出の妥当性を検討することになり、文化庁に上映をお願いした。当初文化庁からは映画フィルムを借りて上映するという話があり、日時場所も設定したが、直前に制作会社が一部の政治家だけにみせることはできないというので、すべての国会議員向けの試写会になった。一部のマスコミに歪曲されて報道されたような私が「事前の(公開前)試写を求めた」という事実は断じてない。公開前かどうかは私にとって何の意味もなく、映画の「公開」について問題にする意図は全くなかったし、今もない。  

 と、「『事前の(公開前)試写を求めた』という事実は断じてない」と、書かれているのですが、どういう意味なんでしょう?

 そもそも、今年の2月の時点で、会として、文化庁に上映をお願いした際、「事前」の上映(=「試写」)を念頭においていなかったのか?会長さんは想像つかなかった?

 その後についても、文化庁・制作会社などは「『公開されるので見てください』と断わる」*3こともできたにもかかわらず、「事前」の試写をしてくれたから、『事前の(公開前)試写を求めた』という事実は断じてない」ということなんでしょうか?
 きちんとネット上で調べてないからかもしれませんが、この辺の経緯がよく分かりません。(´・ω・`)



 つぎに、彼女の「日本映画である…、という助成の要件を満たしていない」とする理論構成。丸番号を括弧番号に修正し、読みやすいように一部改行。

 〔文化庁所管の日本芸術文化〕振興会の平成20年度芸術文化振興基金助成金募集案内によれば「日本映画とは、日本国民、日本に永住を許可された者又は日本の法令により設立された法人により製作された映画をいう。ただし、外国の制作者との共同制作の映画については振興会が著作権の帰属等について総合的に検討して、日本映画と認めたもの」としている。
 映画「靖国」の制作会社は日本法により設立されてはいるが、取締役はすべて(名前からして)中国人である。この会社は、平成5年に中国中央テレビの日本での総代理として設立されたという。映画の共同制作者は北京映画学院青年電影製作所と北京中坤影視制作有限公司である。製作総指揮者、監督、プロデューサーはすべて中国人である。
 このような映画が日本映画といえるだろうか。
 ちなみに政治資金規正法では、日本法人であっても外国人が出資の過半を有する会社からは寄付を受けてはいけない扱いが原則である。

 採択された当時の募集案内は、“平成18年度芸術文化振興基金助成金募集案内”(PDF文書、1.61MB)から引用したほうがいいんだけれど、変わっていないし、最新の募集案内は平成20年度だから、それはいい。

 で、「日本映画」となるか否かですが、素直に読めば、映画「靖国」の制作会社は日本法により設立されているから、あとは、ただし書きの問題。

 つまり、「外国の制作者との共同制作の映画については振興会が著作権の帰属等について総合的に検討して、日本映画と認めたもの」になるのかどうかの問題なのでは?

 不勉強なので、「著作権の帰属等」の「等」に何があるのか、それらをどのように総合的に検討するのか、よく分かりません。(´・ω・`)

 ただ、いきなり、政治資金規正法を持ち出されると、違和感を感じます。法律の目的が違うでしょう…。より近い関連法規と比較して欲しい。

 (もちろん彼女は言っていませんが)「税金使っているんだから今回に関する資料をどんどん出せ」という根拠として政治資金規正法を使えるのなら、平成18年度当時から、「政治家の領収書はどんどん公開せよ」っていう根拠に使えそうですね(^_-)-☆*4



 最後に、彼女の「政治的、宗教的宣伝意図がない、という助成の要件を満たしていない」とする点。
 現状の審査についての建前(?)としては、先月27日の参議院内閣委員会における、有村治子議員の質疑に対する、文化庁の小山眞之助文化部長の答弁となるのであろう*5

 すなわち、

 独立行政法人日本芸術文化振興会の芸術文化振興助成金交付の基本方針におきまして、基金による助成につきましては、「政治的、宗教的宣伝意図を有するものは除く」とされておるところでございます。この映画「靖国」の審査を行った記録映画専門委員会におきまして、この方針についての判断が行われたものと承知しております。政治的テーマを取り上げることと、政治的な宣伝意図を有することは、一応分けて考えられると思っているところでございまして、本件につきましては、政治的なテーマを取り上げていても、政治的な宣伝意図を有するものとまではいえないと専門委員会で判断されたと聞いているところでございます。    (強調部は、しが研が行なった。)

 このあとにも同趣旨の発言が繰り返されるわけだけれど、このような発言について、異論もあるところだろう…。そして、今後の審査については、より「政治的中立な」内容の映画の採択が働きかけられるかもしれないし、そのような制度になるのかもしれない…。

 が、ここでは、この発言(および現段階での審査)と若干食い違うするかもしれないけれど、次のような2つの文章を紹介して、このエントリーを中途半端で終えることにします。(´・ω・`)


1.「学問の自由の場合と同様に、やはりこの領域〔芸術活動に対する国家の援助という領域〕において肝要なことは、すぐれた芸術に対して、援助を行なうという制度それ自体をできるだけ政治から切り離し、『(芸術としての卓越性という――筆者)基準を政治が過度に政治化させないようにすること』であり、制度それ自体の自立性を確保することである。」*6

2.「政府が私人の表現活動に対して公的助成を行なう場合のうち、政府が助成対象の具体的選択等を、…専門職〔つまり特殊な規律・訓練(discipline)をうけて修得した高度な専門知識・経験(experise)に基く意見を基礎にして任務を遂行する職業の中でも、特に《語る》ことをその職責の重要な構成要素とする職業共同体に属する者〕によって担当させる場面」においては、「政府は、一定の目的を立てて、私人の表現活動に資金援助を行なう何らかの助成プログラムを制定することが許されるが、助成実務の実際に関しては、専門職の判断をもって行わなければならない」。そこでは、私人の表現活動に対する選択的助成は、それが政府自身のviewpointにもとづく行動ではなく、専門職の自立的判断にもとづく行動であると解されるが故に、正当化されるのである。」*7

 町村教授が「無邪気」という表現をされたことに(私が)近づくことができるエントリーになったでしょうか…(^^;。

*1:中途半端なエントリーですが、トラックバックさせていただきます。m(_ _)m

*2:これをクリックしてもエラーが出ます。トップページから「お知らせ」にとんでください。

*3:主語は文化庁のみであるが、今月7日の毎日新聞におけるノンフィクション作家・保阪正康氏の発言を流用した。

*4:ちょっと暴論かな…。

*5:参議院インターネット審議中継だと、“こちらからクリックされてください”

*6:阪口正二郎「芸術に対する国家の財政援助と表現の自由」法律時報74巻1号(2002年1月号)34頁。

*7:蟻川恒正「政府と言論」ジュリスト1244号(2003年5月1−15日号)92−93頁。