研究者1年目の今頃
大した調べものをせず、新聞記事ばかり紹介していても、まあ、あまり意味もないので、ちょっとはまともなもの(?)を書こうと、たいした調べものをせずに、書いて見るテスト。研究者として大学教員になろうとしている方の1年目の今頃を念頭において書いてみまつ・・・(^^;*1。原書をどこまで読んでいるのか?
これを書くためには、あの本読んで、この論文読んでと思っていたのですが、見切り発車(^^;。
大学院に入学してきて*2、1年目でどこまでできるかです。本当は、学部でどこまで勉強しているかというのが、差がつく原因の一つなのでしょうが・・・*3
研究者として大学教員になろうとして大学院に入った場合、公法(実定法学一般?)の場合、外国法との比較をした論文を書くことが、多いそうです。
そのためには、その外国語を読めないといけないわけですね。あるところでは、語学の勉強のために、8月末までに、比較する対象となる国の当該研究領域、つまり、憲法なら憲法の「一般的な教科書を嫁」と言われるそうです。
おそらく、その国の司法試験を受験するために必要な教科書でいいのでしょうか・・・(^^;。ということは、1月1日に取り上げた“[公法]教科書の分厚さ”で取り上げた本を、原書で2冊分読まないといけないということになりますね・・・(◎_◎;)ホント?。
これに対して、語学と言えば、ABCからということで、一般的な語学からスタートするという考え方もあるかもしれません。もちろん、一般的な文法は勉強しないといけないでしょうが、例えば、小説を原書で読むとかいうことは教養としては必要不可欠なのかもしれませんが、専門知識・専門用語の習得、とりあえずの目標である、専門論文を書くというには、「時間が足りない」と言うことになりかねないそうです。そういうことをするのであれば、「学部のときにしておけ」と言われかねません・・・(◎_◎;)ホント?。
別の考え方もできます。つまり、例えば、憲法と言ってもその研究範囲がメチャクチャ広いから、一般的な教科書を読まずに、その国の研究領域の文献を(一般的には芋蔓式に)読んでいってまとればいいのだと・・・。
まあ、確かに、「論文に仕立て上げられる」ようになれば、少なくとも、その国の文献を読んでまとめて書くことができる能力があることを一応証明できるわけですが・・・。
さて、比較法をするということは、日本のことも知っておかないといけないわけです。論文に書くか書かないかは別にして。日本語で書かれているわけですから、外国語よりも読めるはずし、読んでいるはず。
しかし同様の問題が生じます。一般的な教科書から読むべきなのか、論文から読むべきなのか?
当然、先行業績は知っていないといけませんから、それは読むのは当然。それでいての問題ではあるのですが、一般的な教科書は、どれくらい読むべきなのか?*4。
ところが、日本語の一般的な教科書ですら、複数読み比べをしたことがなく、その方々の立ち居地がわかっていないという話もあったりするらしくて、そういう事実を知っている優秀な人ほど、「あいつは馬鹿だ。ぜんぜん勉強していない。」と言っていたりいなかったりするらしいのですが・・・(◎_◎;)ホント?。
まあ、要するに、読む順番についての意見の対立があるにせよ、時間が許す限り、いろいろな文献を読み、語学にしても、読む能力だけではなく、ヒアリング・スピーキングの能力を日夜向上させていないといけないということになるのかな?(◎_◎;)ホント?。