「法律の留保」・その1
昨年12月21日のエントリー“公共の福祉・その2”で、ちょっと紹介した「法律の留保」について、補足がてらのエントリー。
憲法と行政法の教科書における定義の違い
そのときにも説明しましたが、現在、憲法の教科書と行政法のそれでは、定義が異なります。同じ言葉でも科目によって違うということです。
憲法:法律があれば、権利・自由を侵害・制約することができる。
行政法:法律がなければ、権利・自由を侵害・制約できない(侵害留保説による説明)。
簡単に言えば、もともとは、現在の行政法の教科書の定義が原義(?)であり、憲法でもその理解が伝統的だったはず。それが、憲法では違った意味で使うようになったと。
困ったときには、芦部信喜(高橋和之補訂)『憲法 第三版 第三版』(有斐閣 岩波書店*1、2002年)。前も引用したところですが、20頁から引用します(笑)。
この言葉は、はじめO・マイヤー(Otto Mayer, 1846-1924)によって、国民の権利・自由に対する制限は、行政権には許されず、立法権(法律)に留保されるべきだという、行政権の恣意を抑制する原則として、用いられた。しかし、法律による行政の原理が確立するとともに、この言葉は、法律に基づく限り権利・自由の制限・侵害は可能であるという意味に用いられることになった。
さすが、芦部先生。かなりコンパクトにまとめられています(^^;。行間を読まないといけない・・・。O・マイヤーというドイツの有名な学者さんのお名前や「法律による行政の原理」とかいう難しい用語が出てきていますね・・・(^^;。
ということで、塩野宏『オットー・マイヤー行政法学の構造 (行政法研究 (第1巻))』(有斐閣、1962年)参照、なんていうと、怒られそうなので、簡単に説明をしようかなと思ったのですが、今日はここまで・・・(^^;*2。