チャタレー事件と税関検査事件の関係

 私のはてな日記は、「ちょっとかじった公法*1を肴にぶつぶつ独りよがりなことを書くだけ」です。

 昨年、ながながと、税関検査事件の最高裁判決(昭和59年大法廷判決と平成11年第三小法廷判決)とチャタレー事件の最高裁判決(昭和32年大法廷判決)をとりあげましたが、とりあげる順番が逆であることもあってわかりにくかったかもしれませんので、教科書に書いてある程度のことですが、ちょっと簡単にまとめようかと(^^;。




 関係するエントリーはというと、
 1.表現の自由の重要性

  http://d.hatena.ne.jp/shiga_kenken/20051231#1136017828

 2.チャタレー事件

  http://d.hatena.ne.jp/shiga_kenken/20051123#1132746914

  http://d.hatena.ne.jp/shiga_kenken/20051127#1133092394

  http://d.hatena.ne.jp/shiga_kenken/20051212#1134391969

 3.税関検査

  http://d.hatena.ne.jp/shiga_kenken/20051113#1131874634

  http://d.hatena.ne.jp/shiga_kenken/20051117#1132225509

表現の自由と性的な表現

 性的な表現は、例えば、刑法175条で規制されているので、従来は、憲法で保障された「表現」の範囲に属さないと考えられてきたそうです。しかし、法律で、たとえば、「わいせつ」の定義をどのように定めるかによって、本来憲法上保障されるべき表現まで、(法律に優位する)憲法の保障の外におかれてしまう可能性がある。

 そこで、「わいせつ」の定義を憲法的に考察し、その結果、かりに何となく「わいせつ」に当たりそうな表現であっても、表現の自由の価値にかんがみて、「わいせつ」にあたらないように考えようと*2

チャタレー事件

 チャタレー事件は、わいせつ文書の頒布等および販売目的所持を処罰する刑法175条を合憲と判断したわけですが、学説からの批判が激しいわけです。

 最高裁は、最小限度の道徳の維持を主な根拠としており、その際「社会を道徳退廃から守らないといけない」とか、「臨床医的役割を演じなければならない」などといっていますね。

 しかし、裁判所が現在そういう役割を果たしているのか?確かに、裁判所が刑罰を科す場合、警察が逮捕し、検察官が起訴しないといけないとして・・・。現在の状態は、警察や検察官がそういう活動をしていないからなのか?それとも、そういう「わいせつ」な表現が流布していないからなの?それとも、学者が反対したり、一般人がそういう表現を望んでいるから、最小限度の性道徳の維持よりも、表現の自由を優先させたのか?

 その後の判例に関しても、学説としては、刑法175条の適用は、もっと控えめに適用すべきだと考えています。特に芸術作品は。で、適用する趣旨は、例えば、大人も見てはいけないものがあるとしてもその範囲は限定的に、そして大人は見てはいいけど子どもは見ていけないようにするとか・・・。

チャタレー事件と税関検査事件

 税関検査事件といっても、この項目では、昭和59年大法廷判決のみ。

 昭和59年大法廷判決には、大まかに言えば、2つの論点がありました。すなわち、検閲該当性の問題(憲法21条2項前段)と、表現の自由の規制問題(憲法21条1項後段)。
 この項目では、後者だけを。

 刑法175条は、販売目的ではない、つまり、自己鑑賞目的の「わいせつ文書」の所持を処罰しません。

 しかし、最高裁は、最小限度の性道徳の維持だから、税関検査の段階で、水際で止めても仕方がないとしました。そのときに言及したのは、税関検査の段階では、自己鑑賞目的か、販売目的かはよくわからないから、止めても仕方ないと。

 しかし、例えば、極端に言えば、「わいせつな文書」であったとして、自己鑑賞目的であれば、国内に輸入したあとに、販売目的の所持に変わった段階で処罰してもいいと思いませんか?。

2つの税関税関検査事件

 ところで、平成11年判決は、公立美術館で展示するような写真が掲載され、国内に販売・流通していたような書籍を税関検査で止めた事件だったわけです。

 しかし、その行為は、違憲・違法とはなりませんでした。簡単に、昭和59年の大法廷判決に照らして、合憲・合法だと。

 さきほどの、昭和59年大法廷判決の話に戻りますが、自己鑑賞目的であっても、水際で止めること、それも芸術作品を止めるのも仕方ないと考えれば、「止めても当たり前」と思われるかもしれません。しかし、そうではないとも考えられるわけです。先ほども申したので、その点は繰り返しません。

 さて、省略した検閲該当性の問題ですが、税関検査を「検閲」に当たらないとした理由のひとつとして(例のごとく、総合的に判断するのですが)、最高裁は、税関検査が、税関の主任務(関税徴収)ではない付随的業務であること、税関職員でも容易に分かるようなものを止めているからだといっておりましたが、この事件を見るとその理由は相当怪しい*3

 さらに、税関検査の定義の狭さ、それに至る理由(歴史的経緯)の説得不足など・・・。


 まあ、そういうところを、学者の方々は、批判しておられるのだろうということを説明する一連のエントリーであったと言うことです(^^;。

*1:実は、「公法」の定義すら、まだしていない。

*2:芦部信喜高橋和之補訂)『憲法 第三版 第三版』(岩波書店、2002年)172頁以下をラフに書いた。もちろん、それぞれお持ちの教科書でも可。

*3:(´・ω・`)べつにシュワちゃんのヌードが見たいからではないよ。