謝罪広告について・その3(完)

 年末になって、忙しい生活。師走だから?

 今年の汚れ、今年のうちにですが、全部はできそうにないです・・・orz。勉強不足だから・・・(´・ω・`)ショボン

 昨日の日記の続きです。今日は、名誉毀損と判断されたことを前提にして*1謝罪広告憲法上認められるのかどうかという話です。そのリーディングケースになったのが、有名な謝罪広告事件*2ですね。

 憲法上、主に争われたのは、憲法19条ですので、条文の引用をば。

 第十九条  思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。




謝罪広告事件の判旨の一部

 民法七二三条にいわゆる「他人の名誉を毀損した者に対して被害者の名誉を回復するに適当な処分」として謝罪広告を新聞紙等に掲載すべきことを加害者に命ずることは、従来学説判例の肯認するところであり、また謝罪広告を新聞紙等に掲載することは我国民生活の実際においても行われているのである。尤も謝罪広告を命ずる判決にもその内容上、これを新聞紙に掲載することが謝罪者の意思決定に委ねるを相当とし、これを命ずる場合の執行も債務者*3の意思のみに係る不代替作為として民事執行法172条*4に基き間接強制によるを相当とするものもあるべく、時にはこれを強制することが債務者の人格を無視し著しくその名誉を毀損し意思決定の自由乃至良心の自由を不当に制限することとなり、いわゆる強制執行に適さない場合に該当することもありうるであろうけれど、単に事態の真相を告白し陳謝の意を表明するに止まる程度のものにあつては、これが強制執行も代替作為として民事執行法171条*5の手続によることを得るものといわなければならない。そして原判決*6の是認した被上告人*7の本訴請求は、上告人*8が判示日時に判示放送、又は新聞紙において公表した客観的事実につき上告人名義を以て被上告人に宛て「右放送及記事は真相に相違しており、貴下の名誉を傷け御迷惑をおかけいたしました。ここに陳謝の意を表します」なる内容のもので、結局上告人をして右公表事実が虚偽且つ不当であつたことを広報機関を通じて発表すべきことを求めるに帰する。されば少くともこの種の謝罪広告を新聞紙に掲載すべきことを命ずる原判決は、上告人に屈辱的若くは苦役的労苦を科し、又は上告人の有する倫理的な意思、良心の自由を侵害することを要求するものとは解せられないし、また民法七二三条にいわゆる適当な処分というべきである・・・。

 謝罪広告憲法19条に違反するかどうかについて、反しないとした、多数意見です*9。長く引用しましたが、読めましたか?

 簡単に、まとめますと、

  1. 国家が、民法723条に基づいて、謝罪広告を命ずることは、従来から判例・学説によって認められてきたものであり、これまで国民も行ってきた。
  2. 間接強制による場合には、良心の自由を不当に制限する場合もある。
  3. しかし、単に事態の真相を告白し陳謝の意を表明するにとどまる程度のものは、代替執行として可能である。(ここまでが、一般論。)
  4. 加害者の公表事実が、虚偽かつ不当であったことを広報機関に通じて発表する謝罪広告を命ずる判決は、屈辱的・苦役的労苦を科すものではないし*10、倫理的な意思、良心の自由を侵害することを要求するものではない。
  5. よって、民法723条の適当な処分として、この程度の謝罪広告は認められる。


大法廷判決に対する批判の紹介

 この事件を契機になのかはさておき、現在、憲法19条にはいろいろな論点があり、また、謝罪広告自体にもいろいろな論点がありますね。しかし、かなりパス*11

 後者について1つ簡単に言えば、前者と関連するのですが、代替執行は、おこなう義務(作為義務)を第三者に履行してもらう義務(代替義務)、つまり、代替的作為義務を強制的に履行させることで、債権者の権利を一応満足させる(法的に解決する)ものですが、謝罪広告といって、加害者が「誠実に本心から謝って」いない広告で、被害者を満足させられるのか?

 逆に、誠実に本心から謝ってもらうことを強制するというのは、前者である憲法19条の「良心」の内容に関連します。ただ、「本人にその気がない場合には裁判所が代替執行することになるのであれば、対社会的には本人がかかる広告を出したと受け止められるのであり、公権力が本人の意思に反して本人の名でかかる表示を強行することになれば、やはり本人にとっては一定の屈辱的意味を持つことを否定できないであろう。(しが研:中略)。・・・かかる広告の強制は憲法19条違反とはいえないとしても、例えば21条違反、あるいはさらに13条違反の問題として考察する余地があるように思われる。それゆえ、かかる場合に被害者の名誉を法的に回復するための適当な処分としては、加害者の負担で判決文ないし取消文の広告を出さしめるなど、他のより妥当な方法を講ずべきであろう。」*12ともいえそうです。

 つまり、謝罪広告制度自体が合憲であっても、被害者感情というか、被害者の権利保障を実現するための手段としての謝罪広告文の内容によっては、どの人権規定かはさておき、違憲の可能性はある。「ここに陳謝します。」というような文章を本人名義での掲載を命じる判決がそうだと考えることもできる。だから、本人名義ではないほうが、人権規定に反しない可能性が高い。本人名義で出すのであれば、12月23日の日記で紹介したような形で、新聞社が「ことわり書き」を掲載するというのはどうでしょ?

 このような事例が、初めてなのかは調べてませんが、なかなかいいアイデアではないかと思いました。とくに、どちらが、新聞社に対して、どなたが謝罪文の掲載をお願いしたのかが、はっきりと分かりますし。(^_-)-☆

*1:よって、名誉毀損の要件とか、表現の自由との関係、日本では認められやすいのかどうかなどという話は、パス(´・ω・`)。

*2:最大判昭和31年7月4日、昭和28年(オ)1241号事件

*3:加害者のことです。以下、同じ。

*4:昨日も一部引用しましたが、1項は「作為又は不作為を目的とする債務で前条第一項の強制執行ができないものについての強制執行は、執行裁判所が、債務者に対し、遅延の期間に応じ、又は相当と認める一定の期間内に履行しないときは直ちに、債務の履行を確保するために相当と認める一定の額の金銭を債権者に支払うべき旨を命ずる方法により行う。」です。原文では、当時の規定である「民訴七三四条」ですが、読みやすいように変えました。

*5:昨日も一部引用しましたが、1項は、「民法第四百十四条第二項本文又は第三項に規定する請求に係る強制執行は、執行裁判所が民法の規定に従い決定をする方法により行う。」ですので、民法も見ないといけないと言うことで、昨日引用しましたわけです。なお、原文では当時の規定である「民訴七三三条」。

*6:本事件では、高等裁判所の判決です。

*7:本事件では、被害者。以下同じ。

*8:本事件では、加害者。以下同じ。

*9:補足意見3つ・反対意見2つがついていて、興味深い判決なわけですが、これについても、省略。この点について論ずる憲法学者の最近の論考として、蟻川恒正「署名と主体」樋口陽一森秀樹・高見勝利・辻村みよ子編著『国家と自由―憲法学の可能性』(日本評論社、2004年)107頁以下(初出は、法律時報74巻11号(2002年)。

*10:ちなみに、憲法18条は、「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」と規定しています。

*11:例えば、前者については、憲法19条の「思想」と「良心」の関係、それぞれの内容・範囲、もちろん謝罪広告の合憲性。後者については、例えば、代替執行で謝罪広告ができるかとか、損害賠償だけでいいのではとか・・・(^^;。

*12:芦部信喜高橋和之・長谷部恭男編『憲法判例百選〈1〉 (別冊ジュリスト (No.154))[第四版]』(有斐閣、1999年)79頁(38事件 初宿正典・執筆)からの引用。