公共の福祉・その2

 昨日の日記に続きです。昨日の話の続きだとすれば、「公共の福祉」の意味の話に行くはずなのですが、ちょっと順番を変えます。各次官書く時間がないというのもあるのですが・・・。




法律の必要性

 公共の福祉による制約を受けるという話をする場合に、あまり指摘されないのが、「法律」が必要だということです。

 もちろん、後でも述べるような場合に法律(法律による具体化)が必要だということが書かれていたり、憲法41条の「立法」の意味とか、その関係での73条6号の政令制定権のところで出てきます。

 しかし、「公共の福祉」論の箇所で出てこないのです。

 この理由は、おそらく、現在の行政法の教科書とは異なり、「法律に基づくかぎり権利・自由の制限・侵害は可能という意味に使われるようになった」*1法律の留保の考え方、また、「人権の『法律による』保障という従来の考え方を超えて、人権は法律によっても侵されてはならない、という『法律からの』保障が強調されるようになった」*2からだと思いますが・・・(^^;。



 ということで、一部の例外を除いて、人権について「公共の福祉による制約」をする場合には、国会が定める「法律」が必要だということはいいですね。

 法律によって、人権を制約するということは、その人権が保障する領域に、法律が介入して、最終的には、何らかの義務を課したり、権利を制限するわけです。


日本国憲法の三大義

 義務教育で習いましたよね。三大義務。「教育を受けさせる義務」(26条2項前段)・「勤労の義務」(27条後段)・「納税の義務」(30条)。

 条文で確認しましょう。

第二十六条
 ○2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

第二十七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。

第三十条 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。(しが研注:下線は私が行った。)

 26条2項・30条には、「法律の定めるところにより」とあるが、27条にはない。それはさておき、この3つの「義務を具体化する」といいますが、簡単に言えば、納税の義務があるからといって、当然に所得税・消費税を払わないといけないわけではなく*3、義務教育を受けさせないから、その義務に違反して、刑罰が科されるわけではない*4わけですね(汗)。勤労しないからといって、法律なくして、何か不利益を国家から受けるわけではない*5

 蛇足ながら、昨日、人権保持義務・人権濫用防止義務(憲法12条)を出しましたけど、一般には、それ自体、プログラム規定とか倫理規定であって、その義務を具体化するには、法律が必要っていわれているのですが、そうすると・・・(´・ω・`)。あと、憲法尊重擁護義務(憲法99条)の問題もありますが、省略ということで・・・(^^;。



 ということで、人権を制約する場合でも、国民の三大義務を具体化する場合も、「法律」が必要です。

 かつて(今でも?)、「日本国憲法第三章は、人権規定ばかりで、義務の規定が少ないから、もっと義務規定を増やせ」というような政治的な発言を見かけましたが、最後に、次の文献で締めくくりましょう。最近頻出(笑)の高橋和之立憲主義と日本国憲法』(有斐閣、2005年)108-109ページからの引用です*6

 憲法に義務規定がなければ国家は国民に義務を課すことができないわけではない。人権を侵害しない限り、法律により義務を課すことが可能であり、これこそが国民の義務を課す場合の通常の方式として憲法が想定しているところのものである。つまり、国民に義務を課すには法律が必要なのであり、したがって、憲法が義務を規定している場合でも、その義務に関しては法律は不要だ、というわけではない。

*1:芦部信喜高橋和之補訂)『憲法 第三版 第三版』(岩波書店、2002年)20頁*。

*2:前掲書76頁。

*3:憲法84条にもそう書いてあるわけですが。

*4:まあ、これも憲法31条から要請されますが。

*5:法律ができたら・・・(´・ω・`)。

*6:もっと端的に言っていた教科書があったような・・・orz。