mixiのメッセージでの質問に関連して・その2(完)
昨日の日記除く変 の続編です。
1条の意味
本日も、芦部信喜(高橋和之補訂)『憲法 第三版 第三版』(岩波書店、2002年)から引用で勘弁してください。所詮、私は、理論的(学説的)に定評のある方の議論を紹介できるにすぎませんから・・・(^^;。
まずは、1条だけの問題ではないですが、40-41頁。
国民主権の観念は、本来、君主主権との対抗関係の下で生成し、主張されてきたもので、君主主権であることは国民主権ではなく、国民主権であることは君主主権ではない、という相反する関係にある。
天皇がここでいう「君主」にあたるのかどうかという問題はありますが、芦部先生によれば、「理論的は正当とは言い難い」ということになるでしょう(同41頁参照)。
次に、日本国憲法において、国民主権を採用したこと、1条において、天皇の地位が「主権の存する日本国民の総意に基く」と規定されたことにより(厳密にはその制定過程も理由になりますが)、天皇の地位が、明治憲法のような絶対的、不可変的なものではなく、国民の総意により可変的なものになった(同44頁、「地位の根拠の相違」など参照。)。
では、天皇の地位はというと、1条で、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であ」ると規定されていますが、この主旨は、「統治権の総覧者としての地位が否定され国政に関する権能をまったくもたなくなった結果」*1、「天皇が国の象徴たる役割を持つことを強調することになるというよりも、むしろ、天皇が国の象徴たる役割以外の役割を持たないことを強調することにあると考えなければならない。」と解されています(同45-46頁、「天皇象徴の意味」などを参照。)
憲法改正の限界
「天皇を廃止するするために第1章を廃止すべきだという主張は、国民主権をも否定することにならないのか?」というご質問だったわけですが、
これについては、まず憲法改正に限界があるかどうかという問題に密接に関連します。通説によれば、憲法改正には限界があり、その限界が問題となるのは、次の4つ。すなわち、
「憲法の3大原理」と「憲法改正手続」のみが問題となるわけです。よって、例えば、国民主権を全面的に否定するような憲法改正はできません。ただ、例えば、平和主義とはいえ、通説によれば、憲法9条2項の改正は可能であると。そういう意味では、憲法改正の限界がある4つでも、ある一定程度の修正は可能な場合がある。
しかし、先ほど引用した「国民の総意により可変的なものになった」という部分からも分かるように、天皇制を廃止するよう憲法改正をすることは理論的には可能です。だから、廃止するかどうかについては、そのように、国民が思うか思わないかということに、理論的には、なります(同365-367頁、「憲法改正の限界」参照。)*2。
【加筆修正(15:00)】
もちろん、憲法改正によって、国民主権に反しない程度に、天皇制を強化するという選択肢もあります。
さらに言うと、天皇制を強化する場合でも、法律*3で行うことができるのか、逆に、法律によって、現状よりも天皇制の保障を弱めることも問題になるでしょうが、それは、また別の問題ということで・・・(^^;。