自由とは何なのでしょう・・・(^^;

 一昨日、12月4日の日記にも書きましたように、12月2日に、dolus indirectusさんから、次のような質問を頂戴しておりました。一部を抜粋して加筆修正して引用。

 いや、まぁ、ネットでよく見かける自称リバタリアンの人たちにほんとはききたかったんですが、ものはついでということです。

「①個人の自由を最大限に尊重すべきであるという立場、あるいは、権利基底的な社会においては、国家による自由への介入は原則的に排除すべきであるという立場がある。
 ②このような立場からすると、例えば、健康増進法などという法律は、不当に個人の自由を侵害するもので妥当ではないということになろう
 ③しかし、他の人がいる場所、空間での喫煙は、個人の健康あるいは生命を危険にさらすので、自己の権利を防衛するために、不当な侵害をおこなっている喫煙者を殺害しても、自己防衛権の行使として許容される。」
 このような考えを論評せよ。
って、問題なんです。よろぴく(^^)v 
 (注:消し線・丸数字・強調部は、しが研が行った。)




まず言い訳

1.そもそも、12月1日、マリリンが、勝手に、BPのiusちゃんの居宅であり、別宅とされるstrafrechtさんの続・けったいな刑法学者のメモにバトンを渡しに行ったところ、翌2日に、本宅とされる(?)dolus indirectusさんのけったいな刑法学者の戯れ言で、質問を頂戴したわけです。

 さて、strafrechtさんとdolus indirectusさんの関係は如何に、また、「い@ち大氏」とはどなたなのか?などと、いろいろと疑問が生じるわけでつね(笑)*1

2.また、「ネットでよく見かける自称リバタリアンの人たちにほんとはききたかった」のであれば、その方々に聞けばいいわけです。
3.さらに、立派な「憲法研究者」が、ネット上におられると思うのですが、ダメダメ研究家に質問されましても・・・orz。


簡単な回答

 まあ、質問してくださったことを光栄に思って、教科書チックな説明になりますが、簡単に回答させていただきます。m(_ _)m

  • ①について

 「権利基底」という用語とかに反応してしまいますが、まあ、それはさておき、一般に、特に、自由権の分野については、国家の介入を原則的に排除すべき(介入する場合でも必要最小限でなくてはならない。)であるという点については、当たり前だのクラッカーでつね。

  • ②について

 例えば、健康増進法(平成十四年八月二日法律第百三号)などのような法律が、不当か?

 ③との関連で言えば、受動喫煙の防止の必要な措置の努力義務(25条)の問題でしょうか(と問題を限定するということで他の条文については、逃げておく。)。

 この点、憲法的に考えると、

 1.喫煙する自由(喫煙権)が、「幸福追求権」(憲法13条)の保護範囲に入るのか?
 2.「他人に喫煙させたくない自由」(嫌煙権)が、「幸福追求権」の保護範囲に入るのか?
 3.これらが憲法上の権利だとしても、法律によって制約される場合があるわけでして、「公共の福祉」*2による制約として、どの程度その制約が認められるか?
 4.特に、喫煙権は、嫌煙権に比べると、人権というのは難しいかもしれません。嫌煙権も、喫煙する自由を制限した結果、享受できる反射的利益といわれるかもしれません。



 たとえば、健康増進法25条が、不当または違法(違憲?)というためには、例えば、

 (1)受動喫煙が身体に重大な影響があると科学的に証明されていているのにもかかわらず、「分煙化」を努力義務としているだけというのは、不十分である場合。
 (2)危険性が科学的に証明されていて、かつ「分煙化」が徹底されたおかげで、非喫煙者の健康を害さなくはなったけれども、逆に、へんてこな「喫煙所」でしか吸うことができなくなったために、喫煙者の健康を害することになった場合。
 (3)そもそも、このような介入すらダメ。
ということが、大まかに、考えられます。これを以下、簡単に検討しますが、私、お肌の大敵であるタバコは全く吸わない非喫煙者ですから、どんどん分煙化してもらい、できれば喫煙者絶滅・・・(´・(ェ)・`)。

 まあ、自分のポリシー(?)は脇においておきます・・・。

 喫煙者が自分で健康を害するのは自己責任だとして、他人の健康・生命に危害を与えるものであれば(危害原理)、喫煙を制限することは正当化しやすいでしょう。不快なものであっても規制できるかもしれませんね(不快なものに対するパターナリスティックな制約)。

 というわけで、まず、(3)の考え方については、なかなかその根拠を見出すことは難しいような気がします。また、(1)(2)についても、その危険性の立証にかかってくるでしょうが、努力義務にしているところが曲者でして、法的に見て、国家の行為(不作為を含む。)が不当といえるかどうかも難しいかもしれません。

  • ③について

 で、仮に、喫煙行為が他人の生命・健康を害すると仮定しまして、自己防衛権として、喫煙者を殺害することができるのか?

 (1)殺人の自由が、「幸福追求権」の一内容として保障されるのかという憲法上の論点に行くわけですが、いずれにしても、殺人罪を設けること自体は問題ない。
 (2)ここでも、喫煙権・嫌煙権の問題が出てくるでしょうが、嫌煙権が人権として保障されるにしても、嫌煙権を根拠に殺人を行うことができるのか、が問題となりますね。

 この点、嫌煙権が人権であったとしても、他人の生命を奪うためには、自力救済の原則禁止、その例外である正当防衛・緊急避難の要件を充たしているかどうかになるでしょう。刑法・民法それぞれの正当防衛・緊急避難の要件はさておき、

 1.権利侵害の存在
 2.それを回避する緊急性
 3.法益の均衡(嫌煙権の重要性が生命を奪うだけの重要性があるのか)

 を考えると、
 1.仮に、喫煙権または生命・健康被害という権利の侵害があったとしても、

 2.例えば、拳銃のように、1発のためで1人の生命を奪うものであれば、それを避ける緊急性は肯定されるとしても、不特定多数の喫煙者による長期間の受動喫煙でそのような権利侵害があるかもしれませんが、たまたま通りがかったタバコを吸っている特定人を殺害するというのは、緊急性が欠けること、

 3.上記2.でも述べたところから、なんとなく推測できると思いますが、嫌煙権の重要性が、他人の生命を奪うだけの重要性は乏しいと考えられること、



 以上から、「自己防衛権の行使として許容され」ない、と、行列のできないダメダメ研究家は考えます。全く文献調べないで書いてますが、dolus indirectusさん、こんな感じでよろしいでしょうか?(´・ω・`)

*1:ius、strafrecht、dolus indirectusとはどういう意味かは、ネットや辞書などで、皆さん調べてみませう・・・(^^;。

*2:通説にしたがって、人権と人権の矛盾衝突を解消する実質的衡平原理としておく。