【公法】傍観中

 こんにちはー。今だ、あばら家からの日記デツ。この日記も含め過去の日記も見やすくしようかと努力しますが、長い目で温かく見守っていてください(涙)。

 さて、一昨日、「先を越された」*1と述べたネット上の議論というのは、行政機関による公表に対する法律の根拠の要否という問題です。



 議論がなされているのは、私が知る限り、代表的なブログは、次のところ。私のような未熟者でマターリとブログをやろうとする者にとっては、直リンするのは恐れ多いので、申し訳ありませんが、お手数ですが、手動入力で、皆さん逝って下さいm(_ _)m。ただ、議論には前提知識が必要でしょうから、お手持ちの行政法の教科書か、長いですが、拙文を読まれて後に、いかれたほうが理解しやすいかと・・・・・・。

 ①http://d.hatena.ne.jp/AKIT/20051013/1129193701

  http://d.hatena.ne.jp/AKIT/20051020/112975628920日追記)
 ②http://bewaad.com/20051015.html#p04

  http://bewaad.com/20051018.html#p02

  http://bewaad.com/20051019.html#p01(19日追記)

 ③http://d.hatena.ne.jp/paco_q/20051016/1129411500

  http://d.hatena.ne.jp/paco_q/20051019/1129665410(19日追記)

 ④http://d.hatena.ne.jp/dpi/20051017/p2

 ⑤http://d.hatena.ne.jp/kei-zu/20051017#p2 (但し、こちらは、私と同様、傍観者的。) (19日追記:傍観者とは言いすぎでした。ご指摘はありませんが、現場で思索を重ねられ、何度もエントリーされているようですので、謝っておきます。m(_ _)m)

 ⑥http://www.seri.sakura.ne.jp/~branch/diary.shtml(19日付記事。19日追記)


学説の概観

 行政法総論をちょっとかじった方々には当たり前田のクラッカーでしょうが、ちょっと簡単にラフですが説明します。

 従来、行政機関が国民(人民)に対して侵害的な法的行為をする場合には、法律(議会制定法)の根拠(=授権)が必要だと考えられてきました(侵害留保説)。そして、「公表」という行為は、ラフに言うと、侵害的な法的行為ではなく事実行為であるとか、直接的な侵害行為ではなく、間接的・付随的な行為(?)にすぎないから、法律の根拠はいらないと解されていました(と思います:滝汗)。

 そのように言われていたのは以下の理由によります。

 すなわち、立憲君主制下で成立した侵害留保説は、君主が立法権を持っていることを前提に租税を賦課したり刑罰を科すような侵害領域については、国民の代表機関による議会の同意が必要であることを主張する見解でした。このような見解は、国民に不利益になる行為について国民の代表機関である議会が事前の同意があることで、「こういう活動をしたらこういう不利益があるし、それ以外の活動をしたら不利益は生じない。」ということを事前に明示するという意味で予測可能であるわけで(自由主義的側面)、そのような行政の活動を議会の意思、ひいては国民の意思を反映させるという意義がありました(民主主義的側面)。ただし、それ以外の領域については、法律が定められていれば話は別ですが、法律の根拠なく行政が活動できるという意味も含まれていました。

 そこで、国民主権を採用する国々、特に日本のように議会が「唯一の立法機関」(憲法41嬢orz)と明示する場合に、侵害領域だけに法律の根拠が必要で、残りの領域には法律の根拠なく行政が活動できるのかという論争が激しくなりました。

 その論争は未だに続いているといえますが、結論として、民主主義的側面を重視して、法律の根拠が必要なのは、侵害領域に限らないという点では、学説上は、ほぼ一致しています*2

 はしょって説明しますが、さらに「侵害」の定義自体が問題となります。つまり、前述のような氏名公表にも法律の根拠が必要な場合があるのではないのか。「侵害」といえるのではないのか?

 例えば、なにか不祥事を起こした企業名を公表することによって、「あんな企業の製品なんか買わない。取引しない。」なんて思う人が多ければ多いほど、営利活動を行う企業の経済的ダメージは重大です。

 そういう意味で、「制裁的」な氏名公表には法律(条例)の根拠が必要なのではないのかというのが論点となっており、それを前提に、現在ネット上で議論がなされているわけです。


実務の概観

 これに対して、実務(裁判所の対応も含む。)は、未だに、侵害留保説にたっているとか、氏名公表には法律(条例)の根拠はいらないといわれたりしています*3

 そういうと、語弊があるので、付言すると、学説にも欠点があるのではないのか?

 つまり、「制裁」って何なのか?「制裁」に当たるとしても、国民の利益とか(安心も含む?)を考えれば、法律の根拠なくても情報提供すべきではないのか?(積極的情報提供)と反論されるわけです。

 また、開示請求を待ってから情報を提供する情報公開制度(消極的情報提供)とどう違うのか?

 そのような疑問があるからこそ、今ネット上で議論されているのだと思います(^^;。これくらいの前提知識があったほうがいいと思いましてエントリー書きました・・・・・・(^^;。


ちょっとだけ検討

 法律の根拠の要否の問題が学説上の議論だとすると、現実には、ある情報を行政機関が持っている場合に、公表すべきかどうかというジレンマがあるようです。これにもいろいろな次元がありそうです。

 ①法律の根拠の要否

 ②積極的に公表するべきか否か*4

 ③公表した場合*5

   事実誤認、公表された名宛人によって訴訟等を起こされる可能性

 ④公表しなかった場合

   公表しなかった場合の被害、その情報を入手した人・その関係者・マスメディアの報道による突き上げなど




 読みやすくなったかな・・・。誤字脱字が心配だorz。

*1:http://d.hatena.ne.jp/shiga_kenken/20051016#1129459480

*2:そういう意味では、学説上の争いのメインは、どこまでの事項に法律の根拠が必要なのかという争いともいえます。

*3:なお、法律の根拠が必要かどうかという問題と損害賠償の問題は一応別です。

*4:うわ、大切な注を忘れてました。③④はおおむね②の判断要素ということで。日本時間19日1:35追記

*5:以下、消極的な公務員像を妄想して、デメリットだけ。